【楞厳経】巻九
色界天
初禅天
お釈迦様:
[SG0901001]
「アーナンダよ! 修行者が禅那を修めなければ智慧が出ない。
阿難! 世間一切所修心人,不假禪那,無有智慧。[SG0901002]
しかし、もし身を律して淫欲を断ち切り、欲望がまったく持たなければ、その者は二度と欲界に生まれず、命が尽きる時、梵衆天に転生して梵天の民となる。
但能執身不行婬慾,若行、若坐想念俱無,無留欲界;是人應念身為梵侶,如是一類名梵眾天。[SG0901003]
修行者は欲望をすでに断ち切り、離欲(欲望を離れること)の心が現れ、喜んで律儀を奉じる。
欲習既除,離欲心現,於諸律儀愛樂隨順,[SG0901004]
そして、命が尽きる時、梵輔天に転生し、梵天の官吏となる。
是人應時能行梵德,如是一類名梵輔天。[SG0901005]
修行者は身心が円妙となり、威儀に欠けることがなく、禁戒を清浄に守り、智慧が出る。
身心妙圓,威儀不缺,清淨禁戒加以明悟,[SG0901006]
そして、命が尽きる時、大梵天に転生し、大梵王となり、梵天を統べる。
是人應時能統梵眾為大梵王,如是一類名大梵天。[SG0901007]
アーナンダよ! これら三つのすぐれた天界は、悩に迫られることがない。
阿難! 此三勝流,一切苦惱所不能逼。[SG0901008]
これは三摩地によって達する境地ではないが、心は清浄で不動である。
雖非正修真三摩地,清淨心中諸漏不動,[SG0901009]
この境地は初禅と称される。
名為初禪。[SG0901010]
二禅天
アーナンダよ! 大梵王は梵天を統べ、梵行(淫欲を離れた清浄な生活)が円満に至り、
阿難! 其次梵天,統攝梵人圓滿梵行,[SG0901011]
心が澄んで動かず、その湛然・静寂の境地の中で光が現れる。
澄心不動寂湛生光,[SG0901012]
それで、少光天に昇る。
如是一類名少光天。[SG0901013]
天人たちの身は発光し、それらの光は尽きることなく重なり合う。十方は瑠璃のように澄み切る。
光光相然,照耀無盡,映十方界遍成瑠璃,[SG0901014]
これは無量光天の境地である。
如是一類名無量光天。[SG0901015]
天人たちは円光を放つことによって思いを表す。その光は清浄で、変化が無限である。
吸持圓光,成就教體,發化清淨,應用無盡,[SG0901016]
これは光音天の境地である。
如是一類名光音天。[SG0901017]
アーナンダよ! これら三つのすぐれた天界は、憂慮に迫られることがない。
阿難! 此三勝流,一切憂懸所不能逼。[SG0901018]
これは三摩地によって達する境地ではないが、心が清浄で、粗い煩悩はない。
雖非正修真三摩地,清淨心中麁漏已伏,[SG0901019]
この境地は二禅と称される。
名為二禪。[SG0901020]
三禅天
アーナンダよ! 光音天の天人は円光を声とし、
阿難! 如是天人,圓光成音,[SG0901021]
心はさらに精妙となり、寂滅の喜びが起こる。
披音露妙,發成精行,通寂滅樂,[SG0901022]
それで、少浄天に昇る。
如是一類名少淨天。[SG0901023]
心は清浄となり、空の境地が現れて無限に広がる。
淨空現前,引發無際,[SG0901024]
身心は軽やかで安らかで、寂滅の喜びが身心に満ちる。
身心輕安,成寂滅樂,[SG0901025]
これは無量浄天の境地である。
如是一類名無量淨天。[SG0901026]
身心も世界もすべて円満・清浄となり、清浄の徳が成就し、すぐれた支えが現れ、寂滅の喜びに安住する。
世界身心一切圓淨,淨德成就,勝託現前,歸寂滅樂,[SG0901027]
これは遍浄天の境地である。
如是一類名遍淨天。[SG0901028]
アーナンダよ! これら三つのすぐれた天界では、すべてが順調である。
阿難! 此三勝流,具大隨順,[SG0901029]
天人は身心が安らかで、無量の喜びを得る。
身心安隱得無量樂。[SG0901030]
これは三摩地によって達する境地ではないが、安らかな心に喜びが満ちている。
雖非正得真三摩地,安隱心中歡喜畢具,[SG0901031]
この境地は三禅と称される。
名為三禪。[SG0901032]
四禅天
また、アーナンダよ! すべて苦の因を断ち切った天人は、身心に迫るものがない。
阿難! 復次,天人不逼身心,苦因已盡;[SG0901033]
さらに、その喜びが常住ではなく、必ず消失するのを悟る。それゆえ、苦楽の二つの心を共に捨て去る。
樂非常住,久必壞生,苦樂二心俱時頓捨。[SG0901034]
粗重な相が消滅し、清浄の福が生じる。
麁重相滅,淨福性生,[SG0901035]
これは福生天の境地である。
如是一類名福生天。[SG0901036]
捨心(物を捨て去る心)が円満・清浄となる。
捨心圓融,勝解清淨,[SG0901037]
福に障るものがなく、すべては順調で、このまま遥か未来まで続く。
福無遮中得妙隨順,窮未來際,[SG0901038]
これは福愛天の境地である。
如是一類名福愛天。[SG0901039]
アーナンダよ! 福愛天の上には分かれ道がある。
阿難! 從是天中有二歧路:[SG0901040]
捨心をさらに修め、無量の清浄な光が現れ、福徳が円明となる。
若於先心,無量淨光,福德圓明,修證而住,[SG0901041]
これは広果天の境地である。
如是一類名廣果天。[SG0901042]
一方、前の捨心を持って苦楽に飽き、捨の道を究め続け、捨心が極致に達した時、身心さえも消滅する。
若於先心,雙厭苦樂,精研捨心相續不斷,圓窮捨道身心俱滅,[SG0901043]
そして五百劫の間、心は死灰(火の気がなくなり冷たくなった灰)の如く起こらない。
心慮灰凝經五百劫;[SG0901044]
その者は生滅の理にとらわれ、不生不滅の理を悟ることができない。
是人既以生滅為因,不能發明不生滅性,[SG0901045]
前の五百劫には心を滅却し、後の五百劫には徐々に妄想を起こす。
初半劫滅,後半劫生,[SG0901046]
これは無想天の境地である。
如是一類名無想天。[SG0901047]
アーナンダよ! これら四つのすぐれた天界の天人は、世間のあらゆる苦楽に動揺されることがない。
阿難! 此四勝流,一切世間諸苦樂境所不能動。[SG0901048]
真の無為の不動地ではないが、有為の修行において心は円熟している。
雖非無為真不動地,有所得心功用純熟,[SG0901049]
この境地は四禅と称される。
名為四禪。[SG0901050]
五不還天
アーナンダよ! 四禅天の中には五不還天(五浄居天)がある。
阿難! 此中復有五不還天。[SG0901051]
そこの天人は、すでに下界(欲界)の九品(上上・上中・上下・中上・中中・中下・下上・下中・下下)の思惑(貪・瞋・痴・慢など)を断ち切り、苦楽の心を捨て去り、二度と下界に戻ることがない。
於下界中九品習氣,俱時滅盡,苦樂雙亡;下無卜居,[SG0901052]
五不還天は、捨心を持つ天人のいる四禅天の中に、別々に存在する。
故於捨心眾同分中,安立居處。[SG0901053]
アーナンダよ! 苦楽の心が完全に消滅し、その心を滅却することさえもない。
阿難! 苦樂兩滅,鬪心不交,[SG0901054]
これは無煩天の境地である。
如是一類名無煩天。[SG0901055]
弓の弦に矢をかけないように、心は境に付くことがない。
機括獨行,研交無地,[SG0901056]
これは無熱天の境地である。
如是一類名無熱天。[SG0901057]
天眼は澄み、十方の世界を見渡すことができ、塵境に汚されない。
十方世界妙見圓澄,更無塵象一切沈垢,[SG0901058]
これは善見天の境地である。
如是一類名善見天。[SG0901059]
陶工や鍛冶師が技に熟練するように、精妙な見は常に現れる。
精見現前,陶鑄無礙,[SG0901060]
これは善現天の境地である。
如是一類名善現天。[SG0901061]
物質の真性を究め、果てしない空の性に入る。
究竟群幾,窮色性性入無邊際,[SG0901062]
これは色究竟天の境地である。
如是一類名色究竟天。[SG0901063]
アーナンダよ! 四禅(初禅・二禅・三禅・四禅)の四位の天王たちだけが、五不還天の噂を聞くことがあるが、実際に見ることも知ることもできない。
阿難! 此不還天,彼諸四禪四位天王獨有欽聞,不能知見。[SG0901064]
まるで、荒野や深山では阿羅漢の住持(寺を統率すること。その僧)する神聖な道場があって凡人には見られないのと同じである。
如今世間曠野深山聖道場地,皆阿羅漢所住持故,世間麁人所不能見。[SG0901065]
アーナンダよ! これら十八天の天人は、独身で梵行を修め、なお身体という束縛から解放できない。
阿難! 是十八天獨行無交,未盡形累。[SG0901066]
ここまでの境界は色界と称される。
自此已還名為色界。[SG0901067]
Copyright © 2024- 天経閣. All rights reserved.