【楞厳経】巻二
五陰
アーナンダよ! なぜ五陰は本来如来蔵の妙明な真如の性であるのか?
阿難! 云何五陰本如來藏妙真如性? [SG0209001]
一、色陰
アーナンダよ! たとえば、ある人が澄んだ目で空を見渡す。空は晴れ渡って何もない。
阿難! 譬如有人,以清淨目觀晴明空,唯一晴虛,逈無所有。[SG0209002]
しかし、その人が長く目を凝らして空を見続けていると、やがて目が疲れすぎて、虚空には砂嵐または種々の混乱の相が見える。
其人無故不動目睛、瞪以發勞,則於虛空別見狂花,復有一切狂亂非相。[SG0209003]
色陰はまさにこのように現れるものだ。アーナンダよ!
色陰當知亦復如是。阿難! [SG0209004]
それらの砂嵐は虚空から出てくるものでもなく、目から出てくるものでもない。アーナンダよ!
是諸狂花,非從空來,非從目出。如是阿難! [SG0209005]
もし砂嵐が虚空から出てくるものであるならば、逆に虚空の内に入ることができることになる。
若空來者,既從空來還從空入,[SG0209006]
出入りがあるものは決して虚空ではない。
若有出入即非虛空。[SG0209007]
もし虚空が何もない空間でないというなら、砂嵐がそこに起こったり、消滅したりすることはありえない。
空若非空,自不容其花相起滅,[SG0209008]
アーナンダの体内にさらにアーナンダがいることと同じである。
如阿難體不容阿難。[SG0209009]
もし砂嵐が目から出てくるものであれば、目に戻って入ることができるのではないか?
若目出者,既從目出還從目入;[SG0209010]
それに、目から出るものは見の働きが備わるはずだ。
即此花性從目出故,當合有見。[SG0209011]
そうであれば、目から出る砂嵐は、逆にその目を見ることができるだろう?
若有見者,去既花空,旋合見眼。[SG0209012]
もし見の働きが備わっていないならば、目から出た時、砂嵐は虚空を遮り、目に戻った時に、砂嵐は目を遮るはずだ。
若無見者,出既翳空,旋當翳眼。[SG0209013]
また、砂嵐が目から出てきた時、目にある障害はすでに目から出てきただろう?
又見花時目應無瞖,[SG0209014]
それでは、なぜ砂嵐が見える目を『障害がある』と言うのか?
云何晴空號清明眼? [SG0209015]
それゆえ、色陰は本来虚妄であり、因縁によって現れるものでもなく、自然に現れるものでもないのだ。
是故當知色陰虛妄,本非因緣、非自然性。[SG0209016]
二、受陰
アーナンダよ! たとえば、ある人は手足も身体も健やかで、体調が良い。まるで身体を忘れたかのように気持ちが良くも悪くもない。
阿難! 譬如有人,手足宴安,百骸調適,忽如忘生,性無違順。[SG0209017]
その人が理由もなく両手を激しく擦り合わせると、掌に粗滑感や温冷感などを覚える。
其人無故以二手掌於空相摩,於二手中妄生澁、滑、冷、熱諸相。[SG0209018]
受陰はまさにこのように生起するものだ。アーナンダよ!
受陰當知亦復如是。阿難! [SG0209019]
その感覚は幻の如く、虚空から出るものでもなく、掌から出るものでもない。アーナンダよ!
是諸幻觸,不從空來,不從掌出。如是阿難! [SG0209020]
もしその感覚が虚空から出るのであれば、なぜ全身ではなく、掌だけに触れるのか?
若空來者,既能觸掌何不觸身? [SG0209021]
虚空は触れる所を決定しないはずだ。
不應虛空選擇來觸。[SG0209022]
もしその感覚が掌から出るのであれば、なぜ両手を擦り合わせる必要があるのか?
若從掌出,應非待合。[SG0209023]
また、もしその感覚が両手を合わせた時に掌から出るのであれば、両手が分離した時に感覚が掌に戻り、身体に入り込むはずだ。
又掌出故,合則掌知,離即觸入;[SG0209024]
そうであれば、腕や骨髄はその感覚の行方に気づくはずだ。
臂腕骨髓,應亦覺知入時蹤跡。[SG0209025]
もし確かに感覚が体内に往来するならば、なぜ両手が分離した時に感覚がないのか?
必有覺心知出知入,自有一物身中往來,何待合知要名為觸? [SG0209026]
それゆえ、受陰は本来虚妄であり、因縁によって起こるものでもなく、自然に起こるものでもないのだ。
是故當知受陰虛妄,本非因緣、非自然性。[SG0209027]
三、想陰
アーナンダよ! たとえば、ある人が酢や梅干しの話を聞けば、口が自然に唾液を分泌する。
阿難! 譬如有人,談說醋梅口中水出,[SG0209028]
また、高い崖のはしに立つことを想像すれば、足がすくむ。
思踏懸崖足心酸澁。[SG0209029]
想陰はまさにこのように生起するものだ。アーナンダよ!
想陰當知亦復如是。阿難! [SG0209030]
この刺激は梅干しから起こるものでもなく、口から起こるものでもない。アーナンダよ!
如是醋說不從梅生,非從口入。如是阿難! [SG0209031]
もしその刺激が梅干しから起こるものであれば、梅干しのことを話す必要はない。
若梅生者,梅合自談何待人說? [SG0209032]
もしその刺激が口から起こるものであれば、梅干しの話を聞く必要はない。
若從口入,自合口聞,何須待耳? [SG0209033]
また、もしその刺激が聴覚から起こるものであれば、水が耳から出るはずだ。
若獨耳聞,此水何不耳中而出? [SG0209034]
崖の例も同様である。
想踏懸崖,與說相類。[SG0209035]
それゆえ、想陰は本来虚妄であり、因縁によって起こるものでもなく、自然に起こるものでもないのだ。
是故當知想陰虛妄,本非因緣、非自然性。[SG0209036]
四、行陰
アーナンダよ! たとえば、急流は絶え間なく流れ続ける。後の波は前の波を追い越すことはない。
阿難! 譬如暴流波浪相續,前際後際不相踰越。[SG0209037]
行陰はまさにこのように起こるものだ。アーナンダよ!
行陰當知亦復如是。阿難! [SG0209038]
その流れの性は虚空から起こるものでもなく、水から起こるものでもなく、水そのものの性でもなく、
如是流性,不因空生,不因水有;亦非水性,[SG0209039]
虚空と水を離れて存在するものでもない。アーナンダよ!
非離空水。如是阿難! [SG0209040]
もし流れの性が虚空から起こるものであれば、十方の果てしない虚空はすべて流れ続け、世界は虚空に押し流されたはずだ。
若因空生,則諸十方無盡虛空成無盡流,世界自然俱受淪溺。[SG0209041]
もし流れの性が水から生起するのであれば、すなわち、流れの性は相を持って所在があるはずだ。
若因水有,則此暴流性應非水,有所有相,今應現在。[SG0209042]
もし流れの性が水の性質であるならば、静止した水は水ではないだろう?
若即水性,則澄清時應非水體;[SG0209043]
もし流れの性が虚空と水を離れて存在するものであるならば、虚空のない場所はなく、水を離れた流れも存在しない。
若離空水,空非有外,水外無流。[SG0209044]
それゆえ、行陰は本来虚妄であり、因縁によって起こるものでもなく、自然に起こるものでもないのだ。
是故當知行陰虛妄,本非因緣、非自然性。[SG0209045]
五、識陰
アーナンダよ! たとえば、ある人は頻伽瓶(双頭の鳥の形をした瓶)の二つの口を塞ぐ。瓶の中には虚空が満ちている。
阿難! 譬如有人,取頻伽瓶塞其兩孔,滿中擎空,[SG0209046]
そして、この瓶を携え、遥か遠い異国へと赴いた。
千里遠行用餉他國。[SG0209047]
識陰はまさにこのように生じるものだ。アーナンダよ!
識陰當知亦復如是。阿難! [SG0209048]
瓶の中の虚空は元の場所から異国へ移ったのではなく、また異国から瓶の中に入ったものでもない。アーナンダよ!
如是虛空,非彼方來,非此方入。如是阿難,[SG0209049]
もし瓶の中の虚空が元の場所から異国へ移ったというならば、虚空がすでに持ち去られたから、元の場所にある虚空が少なくなったはずだ。
若彼方來,則本瓶中既貯空去,於本瓶地應少虛空。[SG0209050]
もし瓶の中の虚空が異国から入ったものであるならば、瓶の口を開き、逆さまにしたとき、虚空が瓶の中から流れ出るはずだ。
若此方入,開孔倒瓶,應見空出。[SG0209051]
それゆえ、識陰は本来虚妄であり、因縁によって生起するものでもなく、自然に生起するものでもないのだ。」
是故當知識陰虛妄,本非因緣、非自然性。[SG0209052]
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