【楞厳経】巻四
六根
アーナンダよ! 六根の優劣を観察しなさい。
阿難! 汝復於中克定優劣。[SG0405001]
眼根が外界を見る時、前方が見られるが後方がまったく見られない。
如眼觀見,後暗、前明,前方全明,後方全暗,[SG0405002]
そして左右両方が見られるが、その範囲は三分の二にすぎない。
左、右傍觀三分之二,[SG0405003]
つまり、眼根の備わる功徳は不完全であり、三分の一が欠ける。
統論所作功德不全;三分言功,一分無德,[SG0405004]
ゆえに眼根はただ八百の功徳が備わっている。
當知眼唯八百功德。[SG0405005]
耳根は十方の声を聴くことができ、聞こえない方向はない。
如耳周聽十方無遺,[SG0405006]
動塵の声が、遠近を問わず聞こえ、
動若邇遙,[SG0405007]
静塵の声に至っては、どこまでも聞こえる。
靜無邊際,[SG0405008]
ゆえに耳根は千二百の功徳がすっかり備わっている。
當知耳根圓滿一千二百功德。[SG0405009]
鼻根は息によって匂いを嗅ぐことができる。
如鼻嗅聞通出入息,[SG0405010]
息の交替の間に、匂いを嗅ぐことはできない。
有出有入而闕中交,[SG0405011]
三分の一の功徳が欠けるゆえ、鼻根はただ八百の功徳が備わっている。
驗於鼻根三分闕一,當知鼻唯八百功德。[SG0405012]
舌根は世間・出世間の智慧を世に広く言い伝えることができる。
如舌宣揚盡諸世間、出世間智,[SG0405013]
文字には限りがあるが、説く道理は無限である。
言有方分,理無窮盡,[SG0405014]
ゆえに舌根は千二百の功徳がすっかり備わっている。
當知舌根圓滿一千二百功德。[SG0405015]
身根は接触の対象を感じることができる。
如身覺觸識於違順,[SG0405016]
触っている時に対象を感じるが、離れている時に対象を感じない。
合時能覺,離中不知,[SG0405017]
離れている状態は一であり、触れている状態は二である。
離一合雙,[SG0405018]
三分の一の功徳が欠けるゆえ、身根はただ八百の功徳が備わっている。
驗於身根三分闕一,當知身唯八百功德。[SG0405019]
意根は十方・三世のあらゆる世間・出世間の法を記憶でき、
如意默容十方三世一切世間出世間法,[SG0405020]
聖者の法も俗世間の法も、限界がない。
惟聖與凡無不苞容盡其涯際,[SG0405021]
ゆえに意根は千二百の功徳がすっかり備わっている。
當知意根圓滿一千二百功德。[SG0405022]
アーナンダよ! もしお前が生死の流れを遡り、不生不滅の本源に戻りたいなら、
阿難! 汝今欲逆生死欲流,返窮流根至不生滅;[SG0405023]
まず六根のそれぞれの深浅、適性、どれが円通(完全に行き渡って妨げのない境地)で、どれが円満ではないのか洞察しなければならない。
當驗此等六受用根,誰合、誰離? 誰深、誰淺? 誰為圓通? 誰不圓滿? [SG0405024]
もしどれが円通か知るならば、その根を通じて逆に感覚の起源である真心を見つけることができる。
若能於此悟圓通根,逆彼無始織妄業流,[SG0405025]
円通でない根と比べれば、修行の効率は一日と一劫ほど大きな開きがあるのだ。
得循圓通;與不圓根日劫相倍。[SG0405026]
私はすでに六根のそれぞれの備わる功徳の数を示した。
我今備顯六湛圓明本所功德,數量如是。[SG0405027]
お前は慎重にその中から自分に最も適したものを選び、それを通じて修行すべきだ。
隨汝詳擇其可入者,[SG0405028]
では、お前の修行のために、さらに説明しよう。
吾當發明令汝增進。[SG0405029]
十方の如来は十八界のいずれを通じて修行しても、無上正等覚という円満な境地に達することができる。
十方如來於十八界一一修行,皆得圓滿無上菩提。[SG0405030]
そもそも十八界の間に優劣はない。だが、お前にとってはこれが難しい。
於其中間,亦無優劣。但汝下劣,未能於中圓自在慧;[SG0405031]
ゆえにお前に一つの門を通して深く入ることを勧める。
故我宣揚,令汝但於一門深入,[SG0405032]
一つの門を通して真心という本源に戻れば、六根は同時に清浄になるのだ。」
入一無妄,彼六知根一時清淨。」[SG0405033]
アーナンダ:
阿難白佛言:[SG0405034]
「世尊様。どうして一つの門によって逆にたどることで、六根を同時に清浄にすることができるのでしょうか?」
「世尊! 云何逆流深入一門,能令六根一時清淨?」[SG0405035]
お釈迦様:
佛告阿難:[SG0405036]
「お前はすでに須陀洹(声聞乗の四果中の初果)の果位を得、三界の衆生の抱く見惑(誤った見解)を断ち切った。
「汝今已得須陀洹果,已滅三界眾生世間見所斷惑;[SG0405037]
しかし、六根に無始からさまざまな虚妄の習性が積み重なってきたことを知らず、それらは修行によって除かなければならないものだ。
然猶未知根中積生無始虛習,彼習要因修所斷得,[SG0405038]
ましてや、さまざまな虚妄の習性の生・住・異・滅の中には、さらにさまざまな微細な妄想が潜んでいる。
何況此中生、住、異、滅分劑頭數? [SG0405039]
よく観察しなさい。六根は一体なのか、それとも六つの別々のものなのか?
今汝且觀現前六根,為一、為六? [SG0405040]
アーナンダよ! もし六根が一体であるなら、なぜ耳で見ることができず、
阿難! 若言一者,耳何不見? [SG0405041]
目で聞くことができず、
目何不聞? [SG0405042]
頭で歩くことができず、
頭奚不履? [SG0405043]
足で言うことができないのか?
足奚無語? [SG0405044]
もし六根が六つの別々のものであるなら、
若此六根決定成六,[SG0405045]
いま私がこの大会で広く説いているこのすぐれた法門を、お前は六根の中のどれを通して受け取るのか?」
如我今會與汝宣揚微妙法門,汝之六根誰來領受?」[SG0405046]
アーナンダ:
阿難言:[SG0405047]
「私は耳で拝聴しています。」
「我用耳聞。」[SG0405048]
お釈迦様:
佛言:[SG0405049]
「もし耳が自ら聞いているというなら、体や口と何の関係があるのか?
「汝耳自聞,何關身、口? [SG0405050]
なぜお前は口を用いて質問を出し、身を起こして私の教えを受けるのか?
口來問義,身起欽承。[SG0405051]
聴きなさい、六根が一体でなければ六つの別々のものである。六つの別々のものでなければ一体である。同時に二つの状況であるということはありえない。
是故應知,非一終六,非六終一。終不汝根元一、元六,[SG0405052]
アーナンダよ! 聴きなさい、そもそも六根は一体でも六つの別々のものでもない。
阿難! 當知是根非一、非六,[SG0405053]
無始からさまざまな虚妄が積み重なってきたために、円満で、湛然な覚性はそこから一や六などの概念を生じたのだ。
由無始來顛倒淪替,故於圓湛一、六義生,[SG0405054]
須陀洹であるお前は六根にとらわれないが、まだ一という観念にとらわれている。
汝須陀洹雖得六銷,猶未亡一。[SG0405055]
たとえば、虚空にはさまざまな形の器があるゆえ、いろいろな形の虚空があると言える。
如太虛空參合群器,由器形異名之異空,[SG0405056]
もしそれらの器を取り去れば、ただ一つの虚空のみがあるのだ。
除器觀空說空為一。[SG0405057]
では、なぜ虚空はお前のために一つの虚空やいろいろな虚空になるのか? 一つの虚空や多くの虚空と言われるのか?
彼太虛空,云何為汝成同、不同? 何況更名是一、非一? [SG0405058]
六根の作用も同様だ。
則汝了知六受用根,亦復如是。[SG0405059]
明・暗の二種の相が円妙な知覚の体に映り、それで、見は起こった。
由明、暗等二種相形,於妙圓中粘湛發見,[SG0405060]
この見の体は色を表示する眼根となり、色塵を合わせるものである。
見精映色,結色成根;[SG0405061]
眼根である目の体は清浄な四大で構成されたものであり、
根元目為清淨四大,因名眼體,[SG0405062]
外観が葡萄に見え、常に色塵に攀縁している。
如蒲萄朵,浮根四塵流逸奔色。[SG0405063]
動・静の二種の相が円妙な知覚の体に映り、それで、聴は起こった。
由動、靜等二種相擊,於妙圓中粘湛發聽,[SG0405064]
この聴の体は声を表示する耳根となり、声塵を巻き込むものである。
聽精映聲,卷聲成根;[SG0405065]
耳根である耳の体は清浄な四大で構成されたものであり、
根元目為清淨四大,因名耳體,[SG0405066]
外観が巻いた葉に見え、常に声塵に攀縁している。
如新卷葉,浮根四塵流逸奔聲。[SG0405067]
流通・閉塞の二種の相が円妙な知覚の体に映り、それで、嗅は起こった。
由通、塞等二種相發,於妙圓中粘湛發嗅,[SG0405068]
この嗅の体は匂いを表示する鼻根となり、香塵を収めるものである。
嗅精映香,納香成根;[SG0405069]
鼻根である鼻の体は清浄な四大で構成されたものであり、
根元目為清淨四大,因名鼻體,[SG0405070]
外観が垂れた爪に見え、常に香塵に攀縁している。
如雙垂爪,浮根四塵流逸奔香。[SG0405071]
淡・変の二種の相が円妙な知覚の体に映り、それで、嘗は起こった。
由恬、變等二種相參,於妙圓中粘湛發嘗,[SG0405072]
この嘗の体は味を表示する舌根となり、味塵を混合するものである。
嘗精映味,絞味成根;[SG0405073]
舌根である舌の体は清浄な四大で構成されたものであり、
根元目為清淨四大,因名舌體,[SG0405074]
外観が三日月に見え、常に味塵に攀縁している。
如初偃月,浮根四塵流逸奔味。[SG0405075]
離・合の二種の相が円妙な知覚の体に映り、それで、触覚は起こった。
由離、合等二種相摩,於妙圓中粘湛發覺,[SG0405076]
この触覚の体は触覚を表示する身根となり、触塵を丸めるものである。
覺精映觸,搏觸成根;[SG0405077]
身根である身は清浄な四大で構成されたものであり、
根元目為清淨四大,因名身體,[SG0405078]
外観が腰太鼓の膜に見え、常に触塵に攀縁している。
如腰鼓顙,浮根四塵流逸奔觸。[SG0405079]
生・滅の二種の相が円妙な知覚の体に映り、それで、意は起こった。
由生、滅等二種相續,於妙圓中粘湛發知,[SG0405080]
この意の体は法塵を表示する意根となり、法塵を閲覧するものである。
知精映法,覽法成根;[SG0405081]
意根は清浄な四大で構成されたものであり、
根元目為清淨四大,因名意思,[SG0405082]
まるで暗室で見るように、常に法塵に攀縁している。
如幽室見,浮根四塵流逸奔法。[SG0405083]
アーナンダよ! 六根はまさにこのようにして生じたのだ。
阿難! 如是六根,[SG0405084]
本来清明な覚性にさらに清明の印象を付加して明るくする。それゆえ、覚性は自分の本性を見失ったのだ。
由彼覺明有明明覺,失彼精了粘妄發光。[SG0405085]
明・暗の相を離れれば見ることはない。
是以汝今離暗、離明無有見體,[SG0405086]
動・静の相を離れれば聞くことはない。
離動、離靜元無聽質,[SG0405087]
流通・閉塞の相を離れれば嗅ぐことはない。
無通、無塞嗅性不生,[SG0405088]
淡・変の相を離れれば味わうことはない。
非變、非恬嘗無所出,[SG0405089]
離・合の相を離れれば触覚はない。
不離、不合覺觸本無,[SG0405090]
生・滅の相を離れれば意・念はない。
無滅、無生了知安寄! [SG0405091]
お前は明・暗・動・静・流通・閉塞・淡・変・離・合・生・滅・という十二の有為の相に従わず、
汝但不循動靜、合離、恬變、通塞、生滅、暗明,如是十二諸有為相;[SG0405092]
六根の中の一根が外境の付着を離れて内在の本源へ戻り、
隨拔一根,脫粘內伏,[SG0405093]
もし元の光明の真性が恢復すれば、他の五根もまた外境の付着から脱落し、塵境から知見を起こすことはなくなる。
伏歸元真,發本明耀,耀性發明,諸餘五粘應拔圓脫,不由前塵所起知見。[SG0405094]
六根の働きに頼らず、六根を通じて覚性の妙用を起こす。
明不循根,寄根明發,[SG0405095]
その時、六根の働きは互いに転じることができるのだ。
由是六根互相為用。[SG0405096]
アーナンダよ! お前は知らないのか? この大会にいる、
阿難! 汝豈不知今此會中,[SG0405097]
アニルッダ(阿那律)は目が見えなくても見ることができ、
阿那律陀無目而見;[SG0405098]
跋難陀龍王(八大龍王の一人)は耳がなくても聞くことができ、
跋難陀龍無耳而聽;[SG0405099]
殑伽(ガンジス川の別名)の女神は鼻で嗅ぐのではなく、
殑伽神女非鼻聞香;[SG0405100]
キョウボンハダイ(驕梵鉢提)は異様な舌を持つが、味わうことができる。
驕梵鉢提異舌知味;[SG0405101]
舜若多神(虚空神)の身は実体がなくても触覚があり、如来の光によって暫く現れる風の身である。
舜若多神無身有觸,如來光中映令暫現,既為風質,其體元無;[SG0405102]
また、この大会にいるマハーカーシヤパのような滅尽定(感覚・意識の働きをすべて停止してしまった禅定)の境地に達した声聞たちは、久しく意根を滅したとしても、円明な意識を持ち、それは心や念によって起こるものではない。
諸滅盡定得寂聲聞,如此會中摩訶迦葉,久滅意根,圓明了知不因心念。[SG0405103]
アーナンダよ! もしお前の六根が外境の付着から完全に離脱し、心が澄んで輝くならば、
阿難! 今汝諸根若圓拔已,內瑩發光;[SG0405104]
塵境や世界のあらゆる変化の相は、まるで熱湯が氷を溶かすように、瞬間に無上の知覚になるのだ。
如是浮塵及器世間諸變化相,如湯銷氷,應念化成無上知覺。[SG0405105]
アーナンダよ! たとえば、人々が視覚に集中している時、突然目を閉じれば、暗闇の相は瞬間に現れ、六根は暗闇に陥り、全身は同じ状態にある。
阿難! 如彼世人聚見於眼,若令急合,暗相現前。六根黯然,頭足相類。[SG0405106]
しかし、その時手で身に沿って探れば、たとえ見られなくても、頭や足を判別できる。
彼人以手循體外繞,彼雖不見,頭足一辯。[SG0405107]
妙明な覚性も同様だ。
知覺是同。[SG0405108]
光がある時見ることができ、光がない時見ることができない。
緣見因明,暗成無見;[SG0405109]
しかし、もし光に頼らない覚性によって見ることができれば、永遠に闇に陥ることはない。
不明自發,則諸暗相永不能昏。[SG0405110]
根と塵という幻象がすべて消え去った時、円妙な覚性は恢復しないことはあろうか?」
根塵既銷,云何覺明不成圓妙?」[SG0405111]
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