【楞厳経】巻三
六入
お釈迦様:
[SG0301001]
「また、アーナンダよ! なぜ六入は本来如来蔵の妙明な真如の性であるのか?
「復次,阿難! 云何六入本如來藏妙真如性? [SG0301002]
一、眼入
アーナンダよ! たとえば、久しく目を凝らして見れば、疲れが出る。
阿難! 即彼目精瞪發勞者,[SG0301003]
視覚と色塵は本来真心の中に現れる疲労の相にすぎない。
兼目與勞,同是菩提瞪發勞相。[SG0301004]
明・暗の二種の幻相が出現し、真心がその相に気をつける。これが見るということである。
因于明暗二種妄塵,發見居中,吸此塵象,名為見性。[SG0301005]
見は実体がなく、明・暗の色塵を離れれば存在しえない。アーナンダよ!
此見離彼明暗二塵,畢竟無體。如是阿難! [SG0301006]
見は明・暗から起こるものでもなく、眼根から起こるものでもなく、虚空から起こるものでもない。なぜかというと、
當知是見非明暗來,非於根出,不於空生。何以故? [SG0301007]
もし見が明かりから起こるものであれば、暗闇の時に見は消滅し、闇を見ることはありえないはずだ。
若從明來,暗即隨滅,應非見暗。[SG0301008]
もし見が闇から起こるものであれば、明かりが現れた時に見は消滅し、明かりを見ることはありえないはずだ。
若從暗來,明即隨滅,應無見明。[SG0301009]
もし見が眼根から起こるものであれば、眼根は色塵ではないのに、見は何を見るのか?
若從根生,必無明暗,如是見精本無自性。[SG0301010]
もし見が虚空から起こるものであれば、お前の目が視界に入るはずだ。
若於空出,前矚塵象,歸當見根;[SG0301011]
それに、虚空が見の主体である場合、見はお前とは無関係のはずだ。
又空自觀,何關汝入? [SG0301012]
それゆえ、見は本来虚妄であり、因縁によって起こるものでもなく、自然に起こるものでもないのだ。
是故當知眼入虛妄,本非因緣,非自然性。[SG0301013]
二、耳入
アーナンダよ! たとえば、手で久しく耳を塞げば、耳根は疲れ、頭の中には響きが聞こえる。
阿難! 譬如有人,以兩手指急塞其耳,耳根勞故頭中作聲;[SG0301014]
聴覚と声塵は本来真心の中に現れる疲労の相にすぎない。
兼耳與勞,同是菩提瞪發勞相。[SG0301015]
動塵・静塵の二種の幻相が出現し、真心がその相に気をつける。これが聞くということである。
因于動靜二種妄塵,發聞居中,吸此塵象,名聽聞性。[SG0301016]
聴(聞くこと)は実体がなく、動塵・静塵を離れれば存在しえない。アーナンダよ!
此聞離彼動靜二塵,畢竟無體。如是阿難! [SG0301017]
聴は動塵・静塵から起こるものでもなく、耳根から起こるものでもなく、虚空から起こるものでもない。なぜかというと、
當知是聞,非動靜來,非於根出,不於空生。何以故? [SG0301018]
もし聴が静塵から起こるものであれば、声がする時に聴は消滅し、声を聞くことはありえないはずだ。
若從靜來,動即隨滅,應非聞動;[SG0301019]
もし聴が動塵から起こるものであれば、声がない時に聴は消滅し、静寂を感じることはありえないはずだ。
若從動來,靜即隨滅,應無覺靜。[SG0301020]
もし聴が耳根から起こるものであれば、耳根は声塵ではないのに、聴は何を聞くのか?
若從根生,必無動靜,如是聞體本無自性。[SG0301021]
もし聴が虚空から起こるものであれば、聴の働きを持つものは虚空のはずがない。
若於空出,有聞成性,即非虛空;[SG0301022]
それに、虚空が聴の主体である場合、聴はお前とは無関係のはずだ。
又空自聞,何關汝入? [SG0301023]
それゆえ、聴は本来虚妄であり、因縁によって起こるものでもなく、自然に起こるものでもないのだ。
是故當知耳入虛妄,本非因緣、非自然性。[SG0301024]
三、鼻入
アーナンダよ! たとえば、長く大きく息を吸えば、鼻根は疲れ、涼しさを覚える。
阿難! 譬如有人急畜其鼻,畜久成勞,則於鼻中聞有冷觸。[SG0301025]
起こった嗅覚から流通・閉塞・匂いの有無・香気・臭気などの区別をつける。
因觸分別通塞、虛實,如是乃至諸香、臭氣;[SG0301026]
嗅覚と香塵は本来真心の中に現れる疲労の相にすぎない。
兼鼻與勞,同是菩提瞪發勞相。[SG0301027]
流通・閉塞の二種の幻相が出現し、真心がその相に気をつける。これが嗅ぐということである。
因于通塞二種妄塵,發聞居中,吸此塵象,名嗅聞性。[SG0301028]
嗅(嗅ぐこと)は実体がなく、流通・閉塞の相を離れれば存在しえない。
此聞離彼通塞二塵,畢竟無體。[SG0301029]
聴きなさい! 嗅は流通・閉塞の境から起こるものでもなく、鼻根から起こるものでもなく、虚空から起こるものでもない。なぜかというと、
當知是聞,非通塞來,[SG0301030]
もし嗅が流通の境から起こるものであれば、鼻が詰まった時に嗅は消滅し、閉塞を感じることはありえないはずだ。
若從通來,塞自隨滅,云何知塞? [SG0301031]
もし嗅が閉塞の境から起こるものであれば、鼻が通った時に嗅は消滅し、香気・臭気を嗅ぐことはありえないはずだ。
如因塞有,通則無聞,云何發明香、臭等觸? [SG0301032]
もし嗅が鼻根から起こるものであれば、鼻根は香塵ではないのに、嗅は何を嗅ぐのか?
若從根生,必無通塞,如是聞體本無自性。[SG0301033]
もし嗅が虚空から起こるものであれば、逆に虚空はお前の鼻を嗅ぐはずだ。
若從空出,是聞自當迴嗅汝鼻;[SG0301034]
それに、虚空が嗅の主体である場合、嗅はお前とは無関係のはずだ。
空自有聞,何關汝入? [SG0301035]
それゆえ、嗅は本来虚妄であり、因縁によって起こるものでもなく、自然に起こるものでもないのだ。
是故當知鼻入虛妄,本非因緣、非自然性。[SG0301036]
四、舌入
アーナンダよ! たとえば、舌で自分の唇を舐め続ければ、舌根は疲れ、そして病気になった場合は苦味を覚え、病気ではない場合は薄い甘味を覚える。
阿難! 譬如有人以舌舐吻,熟舐令勞,其人若病則有苦味,無病之人微有甜觸;[SG0301037]
舌は味を見るものであり、飲食していない時に常に薄味(無味)を感じている。
由甜與苦顯此舌根,不動之時淡性常在。[SG0301038]
舌根と味塵は本来真心の中に現れる疲労の相にすぎない。
兼舌與勞,同是菩提瞪發勞相。[SG0301039]
甘・苦の味・薄味の幻相が出現し、真心がその相に気をつける。これが味を見るということである。
因甜苦、淡二種妄塵,發知居中,吸此塵象,名知味性。[SG0301040]
嘗(味を見ること)は実体がなく、甘味・苦味・薄味などの味塵を離れれば存在しえない。アーナンダよ!
此知味性,離彼甜、苦及淡二塵,畢竟無體。如是阿難! [SG0301041]
嘗は甘味・苦味・薄味から起こるものでもなく、舌根から起こるものでもなく、虚空から起こるものでもない。なぜかというと、
當知如是嘗苦、淡知,非甜苦來,非因淡有,又非根出,不於空生。何以故? [SG0301042]
もし嘗が甘味・苦味から起こるものであれば、薄味が現れる時に嘗は消滅し、薄味を見ることはありえないはずだ。
若甜、苦來,淡即知滅,云何知淡? [SG0301043]
もし嘗が薄味から起こるものであれば、甘味が現れる時に嘗は消滅し、甘味・苦味を見ることはありえないはずだ。
若從淡出,甜即知亡,復云何知甜、苦二相? [SG0301044]
もし嘗が舌根から起こるものであれば、舌根は甘味・苦味・薄味などの味塵ではないのに、嘗は何を味わうのか?
若從舌生,必無甜、淡及與苦塵,斯知味根本無自性。[SG0301045]
もし嘗が虚空から起こるものであれば、虚空が味を見るものになってしまい、舌はその味を知るはずがない。
若於空出,虛空自味,非汝口知;[SG0301046]
それに、虚空が嘗の主体である場合、嘗はお前とは無関係のはずだ。
又空自知,何關汝入? [SG0301047]
それゆえ、嘗は本来虚妄であり、因縁によって起こるものでもなく、自然に起こるものでもないのだ。
是故當知舌入虛妄,本非因緣、非自然性。[SG0301048]
五、身入
アーナンダよ! たとえば、両手を合わせ、一方の手が冷たく、もう一方の手が熱い。
阿難! 譬如有人,以一冷手觸於熱手,[SG0301049]
もし冷の勢いが熱の勢いより強ければ、熱い手が冷たくなる。
若冷勢多熱者從冷,[SG0301050]
逆に熱の勢いが冷の勢いより強ければ、冷たい手が熱くなる。
若熱功勝冷者成熱。[SG0301051]
温度が違うので接触を明らかに感じる。
如是以此合覺之觸,顯於離知;[SG0301052]
冷熱の感覚が交錯するゆえ、触覚は疲れた。
涉勢若成,因于勞觸。[SG0301053]
触覚と触塵は本来真心の中に現れる疲労の相にすぎない。
兼身與勞,同是菩提瞪發勞相。[SG0301054]
離合の二種の幻相が出現し、真心がその相に気をつける。これが触覚である。
因于離、合二種妄塵,發覺居中,吸此塵象,名知覺性。[SG0301055]
触覚は実体がなく、分離・接触・違(ざらつき)・順(滑らかさ)などの触塵を離れれば存在しえない。アーナンダよ!
此知覺體,離彼離、合、違、順二塵,畢竟無體。如是阿難! [SG0301056]
触覚は分離・接触・違・順から起こるものでもなく、身根から起こるものでもなく、虚空から起こるものでもない。なぜかというと、
當知是覺,非離合來,非違順有,不於根出,又非空生。何以故? [SG0301057]
もし触覚が接触から起こるものであれば、分離した時に触覚は消滅し、分離を知ることはありえないはずだ。
若合時來,離當已滅,云何覺離? [SG0301058]
違・順の二相も同様だ。
違、順二相,亦復如是。[SG0301059]
もし触覚が身根から起こるものであれば、身根は分離・接触・違・順などの相ではないのに、触覚は何を感じるのか?
若從根出,必無離、合、違、順四相,則汝身知元無自性。[SG0301060]
もし触覚が虚空から起こるものであれば、虚空が触覚を感じるものになってしまい、触覚はお前とは無関係のはずだ。
必於空出,空自知覺,何關汝入? [SG0301061]
それゆえ、触覚は本来虚妄であり、因縁によって起こるものでもなく、自然に起こるものでもないのだ。
是故當知身入虛妄,本非因緣、非自然性。[SG0301062]
六、意入
アーナンダよ! たとえば、ある人は疲れて眠り、よく寝た後に目覚める。
阿難! 譬如有人,勞倦則眠,睡熟便寤,[SG0301063]
夢の内容を覚えていることもあれば、忘れることもある。
覽塵斯憶,失憶為忘;[SG0301064]
意根は生(生起)・住(持続)・異(変化)・滅(消滅)などさまざまな幻相を集めて整理するものである。
是其顛倒生、住、異、滅,吸習中歸,不相踰越,稱意知根。[SG0301065]
意識と法塵は本来真心の中に現れる疲労の相にすぎない。
兼意與勞,同是菩提瞪發勞相。[SG0301066]
生・滅の二種の内在する幻相が起こり、真心はその相に気をつけ、見・聞の働きは逆に意根に流れ込む、これが意(法塵を読取ること)というものである。
因于生、滅二種妄塵,集知居中,吸撮內塵,見聞逆流,流不及地,名覺知性。[SG0301067]
意は実体がなく、覚醒・睡眠・生滅を離れれば存在しえない。アーナンダよ!
此覺知性,離彼寤寐、生滅二塵,畢竟無體。如是阿難! [SG0301068]
意は覚醒・睡眠・生滅から起こるものでもなく、意根から起こるものでもなく、虚空から起こるものでもない。なぜかというと、
當知如是覺知之根,非寤寐來,非生滅有,不於根出,亦非空生。何以故? [SG0301069]
もし意が覚醒から起こるものであれば、眠っている時に意は消滅し、夢を見ることはありえないはずだ。
若從寤來,寐即隨滅,將何為寐? [SG0301070]
もし意が法塵の生起から起こるものであれば、法塵が消滅した時に意も消滅し、法塵の消滅に気づける人はいるのか?
必生時有,滅即同無,令誰受滅? [SG0301071]
もし意が法塵の消滅から起こるものであれば、法塵が生起した時に意は消滅し、法塵の生起に気づける人はいるのか?
若從滅有,生即滅無,孰知生者? [SG0301072]
もし意が意根から起こるものであれば、覚醒と睡眠は身の状態であって意根の状態ではなく、
若從根出,寤、寐二相隨身開合,[SG0301073]
この二つの状態と関係のない意は、虚空に現れる砂嵐かのように何ものでもないのだ。
離斯二體,此覺知者同於空花,畢竟無性。[SG0301074]
もし意が虚空から起こるものであれば、虚空が意を知るものになってしまい、意はお前とは無関係のはずだ。
若從空生,自是空知,何關汝入? [SG0301075]
それゆえ、意は本来虚妄であり、因縁によって起こるものでもなく、自然に起こるものでもないのだ。
是故當知意入虛妄,本非因緣、非自然性。[SG0301076]
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