りょうごんきょう】巻二


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 > 6.自然と因縁の説


 自然といんねんの説


アーナンダはおシャ様に言いました。

阿難白佛言:[SG0206001]

そん様。まことにほうおうそん様)のおっしゃるとおり、

「世尊! 誠如法王所說,[SG0206002]

かくしょう(悟りのほんしょう。あるいはかく作用の性)はたんねん(海底のように水が満ち、落ち着いて静かなさま)で、じっぽうに遍在し、じょうじゅうし、しょうめつするものではありません。

覺緣遍十方界湛然常住,性非生滅;[SG0206003]

しかしながら、それはぼん(バラモンの別称)であるが説くみょうたいや、とうかい(灰を全身に塗ること)のどうが語る、『真我がじっぽうに満ちている』という説と、何が違うのでしょうか?

與先梵志娑毘迦羅所談冥諦,及投灰等諸外道種說有真我遍滿十方,有何差別? [SG0206004]


また、かつてそん様はりょうさんで大慧さつらにこのようにお説きになりました、

世尊亦曾於楞伽山為大慧等敷演斯義:[SG0206005]

どうたちは常に自然論(万物は自然に存在する)を主張する。

彼外道等常說自然,[SG0206006]

しかし私の見解は違う。実は、万物は因(物事が成り立つ根本よう。たとえば種子)と縁(条件・助力。たとえば、日光・水・土壌がある)によって存在する。』

我說因緣非彼境界。[SG0206007]


いま私の観察によれば、このかくしょうは自然に存在し、しょうめつすることなく、すべてのきょぼうてんとうからはな ています。

我今觀此覺性自然,非生非滅,遠離一切虛妄顛倒,[SG0206008]

いんねんの理より、自然論のほうが正しいと存じます。

似非因緣與彼自然;[SG0206009]

いったいどのようにじゃけんはな 、真心とみょうめいかくしょうを取り戻すことができるのでしょうか?」

云何開示,不入群邪,獲真實心妙覺明性?」[SG0206010]


    一、自然


シャ様はアーナンダに言いました、

佛告阿難:[SG0206011]

しんじちを説くために、私はさまざまな事例を挙げたが、お前はまだ理解できず、自然という見方に惑わされている。

「我今如是開示方便,真實告汝,汝猶未悟,惑為自然。[SG0206012]

アーナンダよ! もし確かにかくしょうが自然に存在するならば、必ず存在する本体があるはずだ。

阿難! 若必自然,自須甄明有自然體。[SG0206013]

それでは、このみょうめいな見の性の本体は何だろうか?

汝且觀此妙明見中,以何為自? [SG0206014]

それは明かりのか、それとも闇のか? くうのか、それとも物のか?

此見為復以明為自? 以暗為自? 以空為自? 以塞為自? [SG0206015]

アーナンダよ! もし明かりが見の本体であるならば、闇を見ることはありえないはずだ。

阿難! 若明為自,應不見暗? [SG0206016]

もしくうが見の本体であるならば、物を見ることはありえないはずだ。

若復以空為自體者,應不見塞? [SG0206017]

このように、もし闇が本体であるならば、光が差した瞬間に見がしょうめつし、なぜ明かりを見ることはできるのだろうか?」

如是乃至諸暗等相以為自者,則於明時見性斷滅,云何見明?」[SG0206018]


    二、いんねん


アーナンダ:

阿難言:[SG0206019]

「いま私は承知しました。確かに見の性は自然に存在するものではなく、いんねんによって存在するものです。

「必此妙見性非自然,我今發明是因緣性。[SG0206020]

しかし、私はまだ理解できかねます。そん様。どうして見の性はいんねんによって存在するのですか?」

心猶未明,諮詢如來,是義云何合因緣性?」[SG0206021]


シャ様:

佛言:[SG0206022]

「お前はいま見の性がいんねんによって存在すると言う。では、質問がある。

「汝言因緣,吾復問汝,[SG0206023]

塵境を見るゆえに見の性が現れる。

汝今因見,見性現前,[SG0206024]

では、見の性は何の因から起こるのか? 明かりのか、それとも闇のか? くうのか、それとも物のか?

此見為復因明有見? 因暗有見? 因空有見? 因塞有見? [SG0206025]

アーナンダよ! もし見の性が明かりから起こるならば、闇を見ることはありえないはずだ。

阿難! 若因明有,應不見暗,[SG0206026]

もし見の性が闇から起こるならば、明かりを見ることはありえないはずだ。

如因暗有,應不見明;[SG0206027]

くうと物の場合も同様だ。

如是乃至因空、因塞,同於明、暗。[SG0206028]


また、アーナンダよ! 見の性が存在する縁(条件)は何か? 明かりか、それとも闇か? くうか、それとも物か?

復次,阿難! 此見又復緣明有見? 緣暗有見? 緣空有見? 緣塞有見? [SG0206029]

アーナンダよ! もし見の性がくうによって存在するならば、物を見ることはありえないはずだ。

阿難! 若緣空有,應不見塞;[SG0206030]

もし見の性が物によって存在するならば、くうを見ることはありえないはずだ。

若緣塞有,應不見空;[SG0206031]

明かりと闇の場合も同様だ。

如是乃至緣明、緣暗,同於空、塞。[SG0206032]


聴きなさい、このみょうめいかくしょうは、因・縁・自然・不自然によって存在するものではなく、非・不非・是・非是の概念が適用されない。

當知如是精覺妙明,非因、非緣,亦非自然、非不自然;無非、不非,無是、非是;[SG0206033]

すべての相をはな 、つまりいっさいの法である。

離一切相,即一切法。[SG0206034]

なぜお前は無益なことを考えて、世間の種々のけろ(無意味なげんせつ)とみょうそう(名と相)の概念をこのみょうめいかくしょうに当てはめようとするのか?

汝今云何於中措心,以諸世間戲論名相而得分別! [SG0206035]

それは手でくうをつかもうとするようなもので、ただ手を疲れさせるだけであり、くうはお前に捉えられるはずがないのだ。」

如以手掌撮摩虛空,只益自勞;虛空云何隨汝執捉?」[SG0206036]


    四種の縁


アーナンダ:

阿難白佛言:[SG0206037]

そん様。もしこのみょうめいかくしょうが因にも縁にも依らないものであるならば、どうしてそん様は常にたちにこうお説きになったのですか、

「世尊! 必妙覺性非因非緣,世尊! 云何常與比丘宣說:[SG0206038]

『見は四種の縁による。すなわちくう・光・心・目である。』

見性具四種緣——所謂因空、因明、因心、因眼,[SG0206039]

これはどういう意味でしょうか?」

是義云何?」[SG0206040]


シャ様:

佛言:[SG0206041]

「アーナンダよ! 私が説く世間の種々のいんねんの理は、いち(究極の真理)に基づくものではない。

「阿難! 我說世間諸因緣相,非第一義。[SG0206042]

アーナンダよ! 質問がある。

阿難! 吾復問汝,[SG0206043]

世間の人々は、『私は見ることができる』と言うが、見られるとはどういうことなのか? 見られないとはどういうことなのか?」

諸世間人說我能見,云何名見? 云何不見?」[SG0206044]


アーナンダ:

阿難言:[SG0206045]

「日・月・灯などの光源があるゆえ人々はさまざまな相を見ることができます。

「世人因於日、月、燈光見種種相,名之為見。[SG0206046]

光がなければ見ることはできません。」

若復無此三種光明,則不能見。」[SG0206047]


シャ様:

[SG0206048]

「アーナンダよ! もし光がない時に見ることができないというならば、その時に闇を見ることもできないはずだ。

「阿難! 若無明時名不見者,應不見暗;[SG0206049]

もし闇が見られるというなら、なぜ光がない時に見ることができないと言えるのか?

若必見暗,此但無明云何無見? [SG0206050]

アーナンダよ! もし『真っくらやみの中で光が見えないこと』を見られないと言うならば、『光がある時に闇が見えないこと』も見られないと言うべきだ。

阿難! 若在暗時,不見明故名為不見;今在明時,不見暗相還名不見;[SG0206051]

それでは、どちらの場合も見られないと言うのではないか?

如是二相俱名不見? [SG0206052]

実のところ、それは明暗のへんにすぎず、見の性はそのへんに伴ってしょうめつするものではない。

若復二相自相𣣋奪,非汝見性於中暫無;[SG0206053]

この二つの場合においても、見ることはできる。なぜ見ることができないと言えるのか?

如是則知二俱名見,云何不見? [SG0206054]


アーナンダよ! よく聴きなさい、

是故阿難! 汝今當知,[SG0206055]

光を見た時、その見は光ではない。

見明之時,見非是明;[SG0206056]

闇を見た時、その見は闇ではない。

見暗之時,見非是暗;[SG0206057]

くうを見た時、その見はくうではない。

見空之時,見非是空;[SG0206058]

物を見た時、その見は物ではない。

見塞之時,見非是塞,[SG0206059]

まさにこの四つの例のように、かくしょうが見を見た(かくの情報を受け取ること)時、かくしょうはその見ではない。

四義成就。汝復應知,見見之時,見非是見,[SG0206060]

かくしょうは見をはな 、見はかくしょうに及ぶものではない。

見猶離見,見不能及,[SG0206061]

では、なぜかくしょういんねん・自然・ごうによって起こると言うのか?

云何復說因緣自然及和合相? [SG0206062]


しょうもんであるお前たちは、けんが狭く、しょうじょうじっそうきわめることができない。

汝等聲聞狹劣無識,不能通達清淨實相。[SG0206063]

よく考えなさい、私の言葉を。すぐれただいの道を怠ってはならない。」

吾今誨汝,當善思惟,無得疲怠妙菩提路!」[SG0206064]



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