【楞厳経】巻二
心の転倒
アーナンダはすぐ席から立ち上がり、合掌してお釈迦様を拝み、ひざまずいて言いました。
阿難即從座起,禮佛合掌,長跪白佛:[SG0202001]
「世尊様! この見聞(見ることと聞くこと)の性が決して生滅しないものであるならば、なぜ世尊様は私たちが真性を見失い、転倒して生きているとおっしゃるのでしょうか?
「世尊! 若此見聞必不生滅,云何世尊名我等輩遺失真性,顛倒行事? [SG0202002]
どうかご慈悲を。私たちの心にたまった塵垢(塵境という汚染)をお洗い流しください!」
願興慈悲洗我塵垢!」[SG0202003]
その時、お釈迦様は金色に輝く御腕を垂れ、五輪指を下に向け、アーナンダに示して言いました。
即時如來垂金色臂,輪手下指,示阿難言:[SG0202004]
「いまお前は私の母陀羅手(手の印相)が見えるだろう? では、この手の向きは正か? それとも転倒か?」
「汝今見我母陀羅手為正為倒?」[SG0202005]
アーナンダ:
阿難言:[SG0202006]
「世の人々はその向きを転倒と言いますが、私には何が正か、何が転倒か承知しません。」
「世間眾生以此為倒,而我不知誰正誰倒。」[SG0202007]
お釈迦様:
佛告阿難:[SG0202008]
「もし世の人々がこの向きを転倒と見なせば、彼らは何の向きを正と見なすのか?」
「若世間人以此為倒,即世間人將何為正?」[SG0202009]
アーナンダ:
阿難言:[SG0202010]
「世尊様が兜羅綿手をお上げになり、お指を空に向けられれば、その向きこそ正と呼ばれます。」
「如來竪臂,兜羅綿手上指於空,則名為正。」[SG0202011]
すると、お釈迦様は即座に御腕を上げ、アーナンダに言いました。
佛即竪臂,告阿難言:[SG0202012]
「世の人々はこの上下の向きが逆になったことを転倒と見なす。
「若此顛倒首尾相換,諸世間人一倍瞻視,[SG0202013]
同じように、衆生を如来の清浄な法身と比べれば、転倒した箇所を見出すことができるのだ。
則知汝身與諸如來清淨法身比類發明;[SG0202014]
如来は正遍知(一切法を知る者)と称され、衆生は転倒者と呼ばれる。
如來之身名正遍知,汝等之身號性顛倒。[SG0202015]
両者を対照すれば、何が転倒したのか?」
隨汝諦觀汝身、佛身,稱顛倒者,名字何處號為顛倒?」[SG0202016]
アーナンダと会衆は皆目を見開いてお釈迦様を見据え、身心において何が転倒したか分かりませんでした。
于時阿難與諸大眾,瞪矒瞻佛目精不瞬,不知身心顛倒所在。[SG0202017]
お釈迦様は慈悲の心を起こし、アーナンダと会衆たちを憐れみ、海潮音(波の音のように深く広がる声)で皆に言いました。
佛興慈悲,哀愍阿難及諸大眾,發海潮音遍告同會:[SG0202018]
「善人たちよ! 私は常に説く、『五陰・諸縁(塵境)・心所法(種々の精神作用)・諸所縁の法は、すべて心の中に現れるものにすぎない。』
「諸善男子! 我常說言:『色心諸緣及心所使、諸所緣法,唯心所現。』[SG0202019]
お前たちの身体も心(精神活動)も、この妙明な真心の中に現れるものである(夢の中に出現したもののようである)。
汝身、汝心,皆是妙明真精妙心中所現物。[SG0202020]
なぜ皆はこの本来円満で、妙明な真性を見失い、悟りの境地で迷っているのか?
云何汝等遺失本妙圓妙明心寶明妙性、認悟中迷? [SG0202021]
無明(心の暗闇)に覆われたゆえ真性は曇った。曇りから虚空が見えるという妄覚(真実ではない知覚)を起こした。
晦昧為空;[SG0202022]
朧な虚空に色(形・映像。空の対立)が見え(目を閉じてさまざまな色が見えるようなことである)、
空晦暗中結暗為色;[SG0202023]
そこで、色に対して妄想を起こし、さまざまな妄想を結合して身心という観念を生じた(たとえば、写真の中の変な影を幽霊と見なすようなことである)。
色雜妄想,想相為身;[SG0202024]
それから、体内にはさまざまな虚妄が集まり、
聚緣內搖,[SG0202025]
心は外界の幻相に攀縁をしている。
趣外奔逸,[SG0202026]
さまざまな混乱した相を心の動きと誤認し、心が体内にあると信じ込んでいる。
昏擾擾相以為心性。一迷為心,決定惑為色身之內,[SG0202027]
しかし実際には、この身体や、身の外にある山河や大地及び虚空は、すべてこの妙明な真心の中に現れるものにすぎない。
不知色身外洎山河虛空大地,咸是妙明真心中物。[SG0202028]
たとえば、お前たちは澄み渡った大海を捨て置き、ただ海面にある一つの泡を海の全貌と認め、
譬如澄清百千大海,棄之、唯認一浮漚體目為全潮,[SG0202029]
そして自分がすでに海のすべてを知り尽くしたと思うようなものだ。
窮盡瀛渤。[SG0202030]
お前たちはまさに真実を深く誤り、私のこの垂れた手のように転倒している。だから如来は、衆生がかわいそうだと言うのだ。」
汝等即是迷中倍人! 如我垂手等無差別,如來說為可憐愍者。」[SG0202031]
アーナンダはお釈迦様の慈悲に満ちた深い教えを受け、涙を流し、叉手(両手を胸の前で組むこと。礼法の一つ)してお釈迦様に言いました。
阿難承佛悲救深誨,垂泣叉手而白佛言:[SG0202032]
「私は世尊様のすぐれた教えを拝聴し、妙明な心は本来円満で、常住していることを承知しました。
「我雖承佛如是妙音,悟妙明心元所圓滿常住心地,[SG0202033]
しかし、私は確かにこの攀縁心をもって世尊様の教えを承知し、世尊様を尊敬するのです。どれが真心かまだ承知しません。
而我悟佛現說法音,現以緣心,允所瞻仰;徒獲此心,未敢認為本元心地。[SG0202034]
どうかご慈悲を! さらに法音を賜り、私たちの疑惑を根本から断ち切り、私たちを無上の道へとお導きください。」
願佛哀愍宣示圓音,拔我疑根歸無上道!」[SG0202035]
お釈迦様:
佛告阿難:[SG0202036]
「もしお前たちがなお攀縁心をもって私の説法を聴くならば、その聞いた仏法は攀縁の対象にすぎず、法の真義に触れられない。
「汝等尚以緣心聽法,此法亦緣,非得法性。[SG0202037]
たとえば、ある人は月を指差して他人に月を示す。他人はその指の指す方向によって月を見るべきだ。
如人以手指月示人,彼人因指當應看月,[SG0202038]
もし他人が指そのものを見て、指を月と誤認するなら、その人は月というものを間違えただけでなく、指というものも間違えた。
若復觀指以為月體,此人豈唯亡失月輪,亦亡其指。[SG0202039]
なぜなら、指を月と誤認したからだ。
何以故? 以所標指為明月故。[SG0202040]
それに、その人は指というものを間違えただけでなく、明暗の概念も誤解した。
豈唯亡指,亦復不識明之與暗。[SG0202041]
なぜなら、指を明るいものと見なし、ゆえに明と暗の性質を取り違える。
何以故? 即以指體為月明性,明暗二性無所了故。[SG0202042]
お前たちも同じだ。もし私の説法の声を認知する働きが心であるなら、声が消えたとしても、その働きはなお続いているはずだ。
汝亦如是,若以分別我說法音為汝心者,此心自應離分別音、有分別性。[SG0202043]
たとえば、旅人はしばらく旅館に泊まり、やがて旅館を去って定住しない。
譬如有客寄宿旅亭,暫止便去,終不常住;[SG0202044]
しかし旅館の主人は旅館を去らず、ゆえに主人と呼ばれる。
而掌亭人都無所去,名為亭主。[SG0202045]
同様に、もし攀縁心が本当の心であるなら、その心は常住しているはずだ。
此亦如是,若真汝心,則無所去,[SG0202046]
なぜ声という対象が消えた時、声を認知する心もなくなるのか?
云何離聲無分別性? [SG0202047]
しかも、声を認知する心だけに限らず、色を離れれば、色を認知する心もなくなる。
斯則豈唯聲分別心,分別我容,離諸色相無分別性;[SG0202048]
さらに、認知の活動さえもないという『非色非空』のマッカリなどの外道たちが呼ぶ冥諦(外道たちは禅定の力によってただ八万劫以内の世界が見られ、八万劫以外の世界に何も見られないため、八万劫以外の世界は実は何もないと確信する。その何もない状態を冥諦と呼ぶ)の境地のように、
如是乃至分別都無,非色非空,拘舍離等昧為冥諦,[SG0202049]
諸法を離れれば、認知する心もなくなる。
離諸法緣無分別性,[SG0202050]
では、お前の言う心はそれぞれ返る所があり、なぜその心が本当の心であると言えるのか?」
則汝心性各有所還,云何為主?」[SG0202051]
アーナンダ:
阿難言:[SG0202052]
「もし攀縁心が必ず返る所があるならば、どうして世尊様は本来の妙明な心は返る所がないとおっしゃるのですか?
「若我心性各有所還,則如來說妙明元心,云何無還? [SG0202053]
どうかご慈悲を! 私たちにお説きください!」
唯垂哀愍為我宣說!」[SG0202054]
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