【楞厳経】巻一
拳と見
(備考:単語の『見』は以下の意味を含みます。一、見ること。二、塵境を見て心に現れた映像。三、視覚。四、視野。)
[SG0104001]
お釈迦様:
[SG0104002]
「アーナンダよ! お前は奢摩他の修行を知りたいなら、また、生死輪廻を免れたいなら、いま私の質問に答えよ!」
阿難! 汝今欲知奢摩他路,願出生死,今復問汝!」[SG0104003]
お釈迦様は金色に輝く腕を上げ、五輪指(指紋が輪のように見える)を曲げて拳を握りました。
即時如來舉金色臂,屈五輪指,[SG0104004]
お釈迦様:
語阿難言:[SG0104005]
「お前はいま見えるのか?」
「汝今見不?」[SG0104006]
アーナンダ:
阿難言:[SG0104007]
「はい、見えます。」
「見。」[SG0104008]
お釈迦様:
佛言:[SG0104009]
「何が見えるか?」
「汝何所見?」[SG0104010]
アーナンダ:
阿難言:[SG0104011]
「世尊様は御腕をお上げになり、五指をお曲げになって光明(輝き)の拳を握っておいでになります。
「我見如來舉臂屈指為光明拳,[SG0104012]
光明の拳は私の心と目を照らしています。」
曜我心目。」[SG0104013]
お釈迦様:
佛言:[SG0104014]
「お前は何を通じて見るのか?」
「汝將誰見?」[SG0104015]
アーナンダ:
阿難言:[SG0104016]
「皆と同じく目を通じて見るのです。」
「我與大眾同將眼見。」[SG0104017]
お釈迦様:
佛告阿難:[SG0104018]
「お前は、『如来が指を曲げて光明の拳を握り、拳がお前の心と目を照らしている。
「汝今答我:如來屈指為光明拳,耀汝心目,[SG0104019]
お前は目を通じて見る』と答えた。
汝目可見,[SG0104020]
では、この輝く拳を知る心は、いったい何だろうか?」
以何為心當我拳耀?」[SG0104021]
アーナンダ:
阿難言:[SG0104022]
「いま世尊様は、心とは何かとご質問になりますが、
「如來現今徵心所在,[SG0104023]
私は確かに心を用いて物事を探究し、
而我以心推窮尋逐,[SG0104024]
すなわち、この思考するものが心であると存じます。」
即能推者我將為心。」[SG0104025]
お釈迦様はアーナンダを叱りました。
佛言:[SG0104026]
「違う! アーナンダ! それはお前の心ではない!」
「咄! 阿難! 此非汝心!」[SG0104027]
アーナンダは驚愕し、すぐに席から立ち上がり、合掌してお釈迦様に問いました。
阿難矍然,避座、合掌,起立白佛:[SG0104028]
「これが心でないならば、いったい何でしょうか?」
「此非我心,當名何等?」[SG0104029]
お釈迦様:
佛告阿難:[SG0104030]
「それは前塵(過去あるいは現在の塵境)に対して起こる虚妄(虚偽・不実)の心であり、お前の真性(真正の天性)を惑わすものなのだ!
「此是前塵虛妄相想,惑汝真性! [SG0104031]
お前は無始からずっと盗人を息子と誤認し、自分の真心を見失い、それゆえ、久しく輪廻に陥っている。」
由汝無始至于今生,認賊為子,失汝元常,故受輪轉。」[SG0104032]
アーナンダ:
阿難白佛言:[SG0104033]
「世尊様! 世尊様は常にこの従弟である私を寵愛してくださいます。
「世尊! 我佛寵弟,[SG0104034]
世尊様に憧れておるゆえに私は出家しました。
心愛佛故,令我出家;[SG0104035]
私は心から世尊様を供養するのみならず、他の恒河沙数の国土の如来様と善知識(人々を正道に導く善い友人)たちも供養します。
我心何獨供養如來,乃至遍歷恒沙國土承事諸佛及善知識,[SG0104036]
また、大いなる勇猛心を持ってさまざまな困難な修行をします。すべては私がこの心を用いて行うことです。
發大勇猛行諸一切難行法事,皆用此心;[SG0104037]
たとえ仏法を誹謗し、永遠に善根(善を生じる根本)を断ち切るような悪業も、この心を用いて行うことです。
縱令謗法永退善根,亦因此心。[SG0104038]
もしこの行動を起こすものが心でないならば、私は土木と同じく心がないものになってしまうのです。
若此發明不是心者,我乃無心同諸土木,[SG0104039]
この知覚の心を離れれば、私は何ものでもありません。
離此覺知更無所有,[SG0104040]
どうして世尊様はこれが心ではないとおっしゃるのでしょうか? 私は非常に恐れております。
云何如來說此非心? 我實驚怖,[SG0104041]
ここに集う会衆もきっと私と同じく疑惑を抱いているでしょう。
兼此大眾無不疑惑,[SG0104042]
どうかご慈悲を! まだ悟りの境地を得ていない私たちにご説明ください。」
唯垂大悲開示未悟!」[SG0104043]
その時、お釈迦様は師子の座(如来の座席)でアーナンダの頭を撫で、アーナンダと会衆たちを無生法忍(すべては生じも滅びもしないという悟り)に導くため、皆に言いました。
爾時,世尊開示阿難及諸大眾,欲令心入無生法忍,於師子座摩阿難頂而告之言:[SG0104044]
「如来は常に説く、『諸法(万事万物)の生滅(生じることと消滅すること)は、すべて心の中に現れる変化にすぎない。
「如來常說諸法所生,唯心所現。[SG0104045]
あらゆる因果・世界・微塵は、心に現れるものなのである。』
一切因果、世界、微塵,因心成體。[SG0104046]
アーナンダよ! 世界のあらゆるものは、たとえ結縷草(葉のきわめて小さい草)の一葉であっても、その根源を探せば、必ずある本体を見出すことができる。
阿難! 若諸世界一切所有,其中乃至草葉縷結,詰其根元咸有體性;[SG0104047]
たとえ虚空でさえ、名と相を持つだろう。
縱令虛空亦有名貌;[SG0104048]
ましてや、この清浄で、妙明で、万物の性を司っている心が実体(真に存在する中身)を持っていないことはあろうか?
何況清淨妙淨明心、性一切心而自無體? [SG0104049]
もし区別・感受・思考といった精神の動きが本当の心であるならば、その心はすべての色塵・声塵・香塵・味塵・触塵・法塵を離れても、ある独立した完全な実体がいつも存在するはずだ。
若汝執悋分別覺觀所了知性必為心者,此心即應離諸一切色、香、味、觸諸塵事業別有全性。[SG0104050]
いま、お前が私の話を聴く時、認知の活動を起こしている。
如汝今者承聽我法,此則因聲而有分別。[SG0104051]
たとえすべての見(見ること)・聞(聞くこと)・覚(嗅ぐこと・味わうこと・触覚)・知(知ること)の活動を止め、幽寂(奥深くひっそりと静かな状態)の境地に入ったとしても、その境地もまた心に現れるものなのである。
縱滅一切見、聞、覺、知,內守幽閑,猶為法塵分別影事。[SG0104052]
私はお前に、『それは心ではないのだと信じろ』と命じるのではない。お前はもっと慎重に心の本質を見極めるべきだ。
我非勅汝執為非心,但汝於心微細揣摩,[SG0104053]
もし前塵を離れても認知の活動がなお起こるというなら、それこそが真心である。
若離前塵有分別性,即真汝心;[SG0104054]
だが、もし前塵から離れた時、その心が消えてしまうなら、それは真心ではなく、単なる認知の働きにすぎない。
若分別性離塵無體,斯則前塵分別影事。[SG0104055]
塵境が常住ではなく、もし変化して消滅するなら、心は亀毛兎角と同じく不存在になってしまい、
塵非常住,若變滅時,此心則同龜毛兔角,[SG0104056]
そしてお前の法身(恒常不滅の真如の体)は断滅(絶えてなくなる。二度と生まれることがないこと)するはずだ。
則汝法身同於斷滅,[SG0104057]
そうなれば、無生法忍を修める人はいるのか?」
其誰修證無生法忍?」[SG0104058]
お釈迦様の説法を聴き、アーナンダと会衆は黙然として気持ちが沈んでいました。
即時阿難與諸大眾,默然自失。[SG0104059]
お釈迦様:
佛告阿難:[SG0104060]
「世間の修行者たちは、たとえ九次第定(九段階の禅定。すなわち、初禅・第二禅・第三禅・第四禅・空無辺処・識無辺処・無所有処・非想非非想処・滅尽定)に入ることができても、無漏の境地に達することができず、せいぜい阿羅漢の境地に達する。
「世間一切諸修學人,現前雖成九次第定,不得漏盡成阿羅漢,[SG0104061]
なぜなら、皆は生死や妄想などが真実だと思うからだ。
皆由執此生死妄想,誤為真實。[SG0104062]
それゆえ、お前は多くの仏法を聴いたが、まだ聖者の位に登ることができないのだ。」
是故汝今雖得多聞,不成聖果。」[SG0104063]
それを聞いて、アーナンダはもう一度悲しげに泣き、お釈迦様に五体投地をしてから、ひざまずいて合掌し、お釈迦様に言いました。
阿難聞已,重復悲淚,五體投地,長跪合掌而白佛言:[SG0104064]
「私は出家して以来、常に世尊様の神威を頼りにし、このように考えております、
「自我從佛發心出家,恃佛威神,常自思惟:[SG0104065]
『修行に努める必要はありません。世尊様はきっと私に三昧の境地を賜るのです。』
『無勞我修,將謂如來惠我三昧,』[SG0104066]
しかし、修行は自分でしなければならないと承知せず、真心を見失ってしまったのです。
不知身心本不相代,失我本心;[SG0104067]
すでに出家しましたが、まだ悟りを開くことができかねます。まるで親を見捨てて家出した貧しい子のようです。
雖身出家,心不入道,譬如窮子捨父逃逝。[SG0104068]
たとえ多くの仏法を聴いたとしても、修行をしなければ、聴いたことがないに等しいのです。いまさらこれを痛感しております。
今日乃知雖有多聞,若不修行與不聞等,[SG0104069]
たとえば、食物をいくら論じても、満腹にはなりません。
如人說食終不能飽。[SG0104070]
世尊様。私たちは二障(煩悩障と所知障)に縛られています。なぜなら、この静寂で常住の真心を承知しないからです。
世尊! 我等今者二障所纏,良由不知寂常心性,[SG0104071]
世尊様。どうかご慈悲を! 無知な私たちに妙明な真心をさらに詳しく説き、真の道をお示しください。」
唯願如來哀愍窮露,發妙明心,開我道眼!」[SG0104072]
その時、お釈迦様の胸に現れた卍字が百・千種の色に輝く宝光を放ち、光はきらきらして十方の微塵数の仏国をことごとく照らしつけました。
即時如來從胸卍字涌出寶光,其光晃昱有百千色。十方微塵普佛世界一時周遍,[SG0104073]
そして、その光は十方の世界のすべての如来に灌頂(能量が頭の頂から体内に流れ入ること)し、その後、帰ってきてアーナンダと会衆に灌頂しました。
遍灌十方所有寶剎諸如來頂,旋至阿難及諸大眾。[SG0104074]
お釈迦様はアーナンダに言いました。
告阿難言:[SG0104075]
「いま私は皆に大法を説いてやろう。
「吾今為汝建大法幢,[SG0104076]
十方の世界のあらゆる衆生に、自分の微妙で、清明で、ひそかな心と清浄の目を恢復させるようにしてやろう。
亦令十方一切眾生獲妙微密性淨明心,得清淨眼。[SG0104077]
アーナンダよ、まず答えよ。先ほど、お前は私の光明の拳を見ただろう。
阿難! 汝先答我見光明拳,[SG0104078]
なぜ拳は光を放つことができるのか?
此拳光明因何所有? [SG0104079]
なぜ拳はあるのか?
云何成拳? [SG0104080]
お前は何を通じて拳を見るのか?」
汝將誰見?」[SG0104081]
アーナンダ:
阿難言:[SG0104082]
「世尊様の御身は閻浮檀金(閻浮樹の森を流れる川の底に産する砂金)の色に輝き、まるで宝の山のようでございます。
「由佛全體閻浮檀金,赩如寶山,[SG0104083]
御身は清浄で、ゆえに光明を放つことができます。
清淨所生,故有光明;[SG0104084]
私は確かに目を通じて拝見するのです。
我實眼觀;[SG0104085]
世尊様は五輪指をお曲げになって拳をお握りになりました。それゆえ、お手は拳の形になったのです。」
五輪指端屈握示人,故有拳相。」[SG0104086]
お釈迦様:
佛告阿難:[SG0104087]
「いま私はお前に真実を告げよう。たとえ智者であっても、事例を引がなければ悟りを開くことはできない。
「如來今日實言告汝:諸有智者要以譬喻而得開悟。[SG0104088]
アーナンダよ! 手がなければ拳は出現しえない。
阿難! 譬如我拳,若無我手不成我拳,[SG0104089]
目がなければ見を起こすことはありえない。
若無汝眼不成汝見;[SG0104090]
目と拳、この二つの例の理は同じだろうか?」
以汝眼根例我拳理,其義均不?」[SG0104091]
アーナンダ:
阿難言:[SG0104092]
「おっしゃるとおりです。世尊様。目がなければ見を起こすことができません。
「唯然! 世尊! 既無我眼,不成我見;[SG0104093]
目と拳、二つの例の理は同じであると存じます。」
以我眼根例如來拳,事義相類。」[SG0104094]
お釈迦様:
佛告阿難:[SG0104095]
「それは違うのだ。そもそも手のない人には拳を握ることが不可能である。
「汝言相類,是義不然。何以故? 如無手人,拳畢竟滅;[SG0104096]
しかし、目のない人には、見ることが不可能ではないのだ。その根拠は何か?
彼無眼者,非見全無。所以者何? [SG0104097]
たとえば、街で目のない人に、『お前は何が見えるか』と問うなら、その人はきっとお前にこのように答えるだろう、
汝試於途詢問盲人:『汝何所見?』彼諸盲人必來答汝:[SG0104098]
『見えるのは暗闇ばかりだ。他には何も見えない。』
『我今眼前唯見黑暗,更無他矚。』[SG0104099]
この例が示すとおり、暗闇は目の前にある塵境であり、見の働きは何の欠損もないのだ。」
以是義觀,前塵自暗,見何虧損?」[SG0104100]
アーナンダ:
阿難言:[SG0104101]
「目のない人はただ暗闇だけが見えます。どうして見ることがあると言えるのでしょうか?」
「諸盲眼前唯覩黑暗,云何成見?」[SG0104102]
お釈迦様:
佛告阿難:[SG0104103]
「では、目のない人が見える暗闇と目のある人が暗室で見える暗闇は違うか、それとも違いがないのか?」
「諸盲無眼唯觀黑暗,與有眼人處於暗室,二黑有別、為無有別?」[SG0104104]
アーナンダ:
[SG0104105]
「おっしゃるとおりです。世尊様。目のない人と暗室にいる人の両者の見える暗闇を比べれば、確かに違いはありません。」
「如是,世尊! 此暗中人與彼群盲,二黑校量,曾無有異。」[SG0104106]
お釈迦様:
[SG0104107]
「アーナンダよ! 目のない人は暗闇しか見えない。もし突然、目が復元すれば、その人はいろいろなものが見える。
「阿難! 若無眼人全見前黑,忽得眼光,還於前塵見種種色,[SG0104108]
それならば、塵境が見られる主体が目であろう?
名眼見者;[SG0104109]
しかし、同様に、暗室にいる人は暗闇しか見えない。もし突然、灯りをともせば、その人も同じくいろいろなものが見える。
彼暗中人全見前黑,忽獲燈光,亦於前塵見種種色,[SG0104110]
それでは、塵境が見られる主体が灯りではないだろうか?
應名燈見。[SG0104111]
もし灯りが見ることができるというなら、それを灯りと呼ぶべきではない。
若燈見者,燈能有見,自不名燈。[SG0104112]
それに、塵境が見られる主体が灯りであるなら、その見は暗室にいる人に関わらないはずだ。
又則燈觀,何關汝事? [SG0104113]
聴きなさい、灯りは見ることができず、塵境を照らし出すものにすぎない。
是故當知,燈能顯色,如是見者是眼非燈;[SG0104114]
色は目に映る。見の働きは心に属するものなのである。」
眼能顯色,如是見性是心非眼。」[SG0104115]
アーナンダと会衆はお釈迦様の解説を聴きましたが、なお悟りを開くことができませんでした。
阿難雖復得聞是言,與諸大眾口已默然,心未開悟。[SG0104116]
皆は静かに合掌し、心を清めてお釈迦様の教えに聴き入りました。
猶冀如來慈音宣示,合掌清心佇佛悲誨。[SG0104117]
Copyright © 2024- 天経閣. All rights reserved.