菩薩の種類
【維摩経】嘱累品
菩薩の分類
そこで、お釈迦様は弥勒菩薩に言いました。
於是佛告彌勒菩薩言:[VK1401001]
「弥勒よ! いま私は無量億の阿僧祇劫の間に集めた阿耨多羅三藐三菩提の法をお前にまかせよう。
「彌勒!我今以是無量億阿僧祇劫所集阿耨多羅三藐三菩提法,付囑於汝。[VK1401002]
如来の入滅後の末世に、皆はぜひ神力を利用して経典を閻浮提に伝え広めるのだ。
如是輩經,於佛滅後末世之中,汝等當以神力廣宣流布於閻浮提,[VK1401003]
絶えることをさせないように。それはなぜか?
無令斷絕。所以者何?[VK1401004]
未来の時代には、必ず善良な男女・天人・龍族・鬼神・乾闥婆・羅刹などの、
未來世中,當有善男子、善女人及天、龍、鬼神、乾闥婆、羅剎等,[VK1401005]
阿耨多羅三藐三菩提心を発し、大乗の法を好む者がいる。
發阿耨多羅三藐三菩提心,樂于大法;[VK1401006]
その時、もしこれらの経典がなければ、それは皆にとって大きな損失であろう。
若使不聞如是等經,則失善利。[VK1401007]
もし皆がこれらの経典を聴くことができれば、経典を信じ、好む者は必ず多くいるだろう。
如此輩人聞是等經,必多信樂,[VK1401008]
皆は経典が珍しいと思って、教義を受け、そして衆生の利益に応じて他の皆に広く説いてあげるのだ。
發希有心,當以頂受,隨諸眾生所應得利,而為廣說。[VK1401009]
弥勒よ! よく知りなさい! 菩薩には二種類の個性がある。
彌勒!當知菩薩有二相。何謂為二?[VK1401010]
一つ目は、経典の美辞麗句を好む者だ。
一者、好於雜句文飾之事;[VK1401011]
二つ目は、経典の奥深い教義を恐れず、真実の意味どおりに理解することができる者だ。
二者、不畏深義如實能入。[VK1401012]
一般的には、経典の美辞麗句を好む者は新米の菩薩である。
若好雜句文飾事者,當知是為新學菩薩;[VK1401013]
一方、経典に対して執着せず、
若於如是無染無著,[VK1401014]
奥深い教義を恐れず、
甚深經典無有恐畏,[VK1401015]
真実の意味どおりに理解することができ、
能入其中,[VK1401016]
経典を聴いて心が清浄になり、
聞已心淨,[VK1401017]
経典を学んだり、覚えたり、読んだり、教義どおりに修行する者、
受持讀誦,如說修行,[VK1401018]
そのような人は久しく修行している菩薩なのだ。よく知りなさい! 弥勒よ!
當知是為久修道行。彌勒![VK1401019]
また、新米の菩薩は経典に対して二種類の態度があり、
復有二法名新學者,[VK1401020]
そのせいで奥深い仏法を信じることができないのだ。それは何か?
不能決定於甚深法。何等為二?[VK1401021]
一つ目は、聴いたことのない経典に対して、
一者、所未聞深經,[VK1401022]
経典を聴いた後、驚いたり、恐れたりし、経典を疑って従うことができず、
聞之驚怖生疑,不能隨順,[VK1401023]
さらに経典を中傷し、信じることができず、
毀謗不信,[VK1401024]
そして、『これは誰の言葉か? 聞いたことがない』と言うのだ。
而作是言:『我初不聞,從何所來?』[VK1401025]
二つ目は、もし誰かがこれらの奥深い経典を守り、他人に解説するなら、
二者、若有護持、解說如是深經者,[VK1401026]
新米の菩薩はその人に近づいたり、供養したり、敬ったりせず、
不肯親近、供養、恭敬,[VK1401027]
時々その人の悪口を言うのだ。
或時於中說其過惡。[VK1401028]
よく知りなさい! そのような人は新米の菩薩であり、
有此二法,當知是為新學菩薩,[VK1401029]
自分自身を妨げ、奥深い仏法が理解できないのだ。弥勒よ!
為自毀傷,不能於深法中調伏其心。彌勒![VK1401030]
また二つの原因があり、菩薩は奥深い仏法を信じても、理解しても、
復有二法,菩薩雖信解深法,[VK1401031]
自分自身を妨げ、無生法忍の境地に至ることができないのだ。それはなぜか?
猶自毀傷,而不能得無生法忍。何等為二?[VK1401032]
一つ目は、新米の菩薩をなめて皆に教え諭さない。
一者、輕慢新學菩薩,而不教誨;[VK1401033]
二つ目は、奥深い仏法を理解しても、相を区別してとらわれている。
二者、雖解深法,而取相分別。[VK1401034]
この二つが原因なのだ。」
是為二法。」[VK1401035]
【維摩経】嘱累品
菩薩の分類
そこで、お釈迦様は弥勒菩薩に言いました。
於是佛告彌勒菩薩言:[VK1401001]
「弥勒よ! いま私は無量億の阿僧祇劫の間に集めた阿耨多羅三藐三菩提の法をお前にまかせよう。
「彌勒!我今以是無量億阿僧祇劫所集阿耨多羅三藐三菩提法,付囑於汝。[VK1401002]
如来の入滅後の末世に、皆はぜひ神力を利用して経典を閻浮提に伝え広めるのだ。
如是輩經,於佛滅後末世之中,汝等當以神力廣宣流布於閻浮提,[VK1401003]
絶えることをさせないように。それはなぜか?
無令斷絕。所以者何?[VK1401004]
未来の時代には、必ず善良な男女・天人・龍族・鬼神・乾闥婆・羅刹などの、
未來世中,當有善男子、善女人及天、龍、鬼神、乾闥婆、羅剎等,[VK1401005]
阿耨多羅三藐三菩提心を発し、大乗の法を好む者がいる。
發阿耨多羅三藐三菩提心,樂于大法;[VK1401006]
その時、もしこれらの経典がなければ、それは皆にとって大きな損失であろう。
若使不聞如是等經,則失善利。[VK1401007]
もし皆がこれらの経典を聴くことができれば、経典を信じ、好む者は必ず多くいるだろう。
如此輩人聞是等經,必多信樂,[VK1401008]
皆は経典が珍しいと思って、教義を受け、そして衆生の利益に応じて他の皆に広く説いてあげるのだ。
發希有心,當以頂受,隨諸眾生所應得利,而為廣說。[VK1401009]
弥勒よ! よく知りなさい! 菩薩には二種類の個性がある。
彌勒!當知菩薩有二相。何謂為二?[VK1401010]
一つ目は、経典の美辞麗句を好む者だ。
一者、好於雜句文飾之事;[VK1401011]
二つ目は、経典の奥深い教義を恐れず、真実の意味どおりに理解することができる者だ。
二者、不畏深義如實能入。[VK1401012]
一般的には、経典の美辞麗句を好む者は新米の菩薩である。
若好雜句文飾事者,當知是為新學菩薩;[VK1401013]
一方、経典に対して執着せず、
若於如是無染無著,[VK1401014]
奥深い教義を恐れず、
甚深經典無有恐畏,[VK1401015]
真実の意味どおりに理解することができ、
能入其中,[VK1401016]
経典を聴いて心が清浄になり、
聞已心淨,[VK1401017]
経典を学んだり、覚えたり、読んだり、教義どおりに修行する者、
受持讀誦,如說修行,[VK1401018]
そのような人は久しく修行している菩薩なのだ。よく知りなさい! 弥勒よ!
當知是為久修道行。彌勒![VK1401019]
また、新米の菩薩は経典に対して二種類の態度があり、
復有二法名新學者,[VK1401020]
そのせいで奥深い仏法を信じることができないのだ。それは何か?
不能決定於甚深法。何等為二?[VK1401021]
一つ目は、聴いたことのない経典に対して、
一者、所未聞深經,[VK1401022]
経典を聴いた後、驚いたり、恐れたりし、経典を疑って従うことができず、
聞之驚怖生疑,不能隨順,[VK1401023]
さらに経典を中傷し、信じることができず、
毀謗不信,[VK1401024]
そして、『これは誰の言葉か? 聞いたことがない』と言うのだ。
而作是言:『我初不聞,從何所來?』[VK1401025]
二つ目は、もし誰かがこれらの奥深い経典を守り、他人に解説するなら、
二者、若有護持、解說如是深經者,[VK1401026]
新米の菩薩はその人に近づいたり、供養したり、敬ったりせず、
不肯親近、供養、恭敬,[VK1401027]
時々その人の悪口を言うのだ。
或時於中說其過惡。[VK1401028]
よく知りなさい! そのような人は新米の菩薩であり、
有此二法,當知是為新學菩薩,[VK1401029]
自分自身を妨げ、奥深い仏法が理解できないのだ。弥勒よ!
為自毀傷,不能於深法中調伏其心。彌勒![VK1401030]
また二つの原因があり、菩薩は奥深い仏法を信じても、理解しても、
復有二法,菩薩雖信解深法,[VK1401031]
自分自身を妨げ、無生法忍の境地に至ることができないのだ。それはなぜか?
猶自毀傷,而不能得無生法忍。何等為二?[VK1401032]
一つ目は、新米の菩薩をなめて皆に教え諭さない。
一者、輕慢新學菩薩,而不教誨;[VK1401033]
二つ目は、奥深い仏法を理解しても、相を区別してとらわれている。
二者、雖解深法,而取相分別。[VK1401034]
この二つが原因なのだ。」
是為二法。」[VK1401035]