不二法門に入る

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 ほうもん(三)


しんさつ

深慧菩薩曰:[VK0903001]

「空、そうさく(三だつ門)は二です。

「是空、是無相、是無作為二。[VK0903002]

空はつまりそうであり、そうはつまりさくです。

空即無相,無相即無作;[VK0903003]

もし空あるいはそうあるいはさくきょうに入ったら、心・意・識を起こさないのです。

若空、無相、無作,則無心、意、識,[VK0903004]

それゆえ、一だつ門はつまり三だつ門です。

於一解脫門即是三解脫門者,[VK0903005]

これがほうもんに入ることです。」

是為入不二法門。」[VK0903006]


じゃくこんさつ

寂根菩薩曰:[VK0903007]

「仏、仏法と僧は二です。

「佛、法、眾為二。[VK0903008]

仏はつまり仏法であり、仏法はつまり僧です。なぜなら、

佛即是法,法即是眾,[VK0903009]

三宝は皆の道に従ってくうに等しく、いっさいの物事も同じなのです。

是三寶皆無為相,與虛空等,一切法亦爾。[VK0903010]

そのようにの道に従うことが、ほうもんに入ることです。」

能隨此行者,是為入不二法門。」[VK0903011]


しんがいさつ

心無礙菩薩曰:[VK0903012]

「身と身のしょうめつは二です。

「身、身滅為二。[VK0903013]

身はつまり身のしょうめつです。なぜなら、

身即是身滅。所以者何?[VK0903014]

身のじっそうが見られる者は、身があるかんねんも、身のしょうめつというかんねんも起こさないのです。

見身實相者,不起見身及見滅身,[VK0903015]

身と身のしょうめつは二ではなくてべつもなく、

身與滅身無二無分別,[VK0903016]

そのように理解して、おどろいたり、おそれたりしないことが、ほうもんに入ることです。」

於其中不驚、不懼者,是為入不二法門。」[VK0903017]


じょうぜんさつ

上善菩薩曰:[VK0903018]

「身業・口業・意業(身・口・心による種々のぜんあくの行為)は二です。

「身、口、意業為二。[VK0903019]

三業のほんしつは皆さくの相(現象)なのです(いんねんによって自然のままに発生する)。

是三業皆無作相,[VK0903020]

身のさくの相はつまり口のさくの相であり、口のさくの相はつまり意のさくの相です。

身無作相,即口無作相;口無作相,即意無作相;[VK0903021]

三業は皆さくの相であるゆえにあらゆることもさくの相なのです。

是三業無作相,即一切法無作相。[VK0903022]

そのようにさくに従うことが、ほうもんに入ることです。」

能如是隨無作慧者,是為入不二法門。」[VK0903023]


ふくさつ

福田菩薩曰:[VK0903024]

ぜんぎょうあくぎょうと不動行(ぜんはっじょう)は二です。

「福行、罪行、不動行為二。[VK0903025]

三行のほんしつはつまり空であり、

三行實性即是空,[VK0903026]

空ならばぜんぎょうあくぎょうも不動行もないのです。

空則無福行、無罪行、無不動行。[VK0903027]

この三行をべつしないことが、ほうもんに入ることです。」

於此三行而不起者,是為入不二法門。」[VK0903028]


ごんさつ

華嚴菩薩曰:[VK0903029]

「我から二(二元・)を起こすことは二です。

「從我起二為二。[VK0903030]

我のほんしつが見られる者は、二というかんねんを起こさないのです。

見我實相者,不起二法;[VK0903031]

もし二元のかんねんはな れば、識別の心を起こさないのです。

若不住二法,則無有識;[VK0903032]

識別の心のないきょうに入ることが、ほうもんに入ることです。」

無所識者,是為入不二法門。」[VK0903033]


とくぞうさつ

德藏菩薩曰:[VK0903034]

ゆうしょとく(得られるものがある)のかんねんは二です。

「有所得相為二。[VK0903035]

もししょとくであれば、しゅしゃすることがないのです。

若無所得,則無取捨;[VK0903036]

しゅしゃのないきょうに入ることが、ほうもんに入ることです。」

無取捨者,是為入不二法門。」[VK0903037]


がつじょうさつ

月上菩薩曰:[VK0903038]

「闇 みょう(明るさ)は二です。

「闇與明為二。[VK0903039]

みょうがないと、二ということもないのです。なぜなら、

無闇、無明,則無有二。所以者何?[VK0903040]

例えばめつじんじょうに入る時、心には闇も明もないのです。

如入滅受想定,無闇、無明,[VK0903041]

あらゆる物事も同じです。

一切法相亦復如是,[VK0903042]

そのように平等のきょうに入ることが、ほうもんに入ることです。」

於其中平等入者,是為入不二法門。」[VK0903043]


ほういんしゅさつ

寶印手菩薩曰:[VK0903044]

はんを好むことと世間を好まないことは二です。

「樂涅槃、不樂世間為二。[VK0903045]

はんを好まず、世間を嫌われなければ、二ということはないのです。なぜなら、

若不樂涅槃、不厭世間,則無有二。所以者何?[VK0903046]

もしそくばくがあれば、解放もあるからです。

若有縛,則有解;[VK0903047]

もしもともとそくばくがなければ、誰が解放を求めるのでしょうか? 

若本無縛,其誰求解?[VK0903048]

そくばくも解放もないゆえに好むことも嫌うこともないのです。

無縛無解,則無樂、厭,[VK0903049]

これがほうもんに入ることです。」

是為入不二法門。」[VK0903050]


しゅちょうおうさつ

珠頂王菩薩曰:[VK0903051]

しょうとうと邪道は二です。

「正道、邪道為二。[VK0903052]

しょうとうに入る者は正と邪をべつしないのです。

住正道者,則不分別是邪是正,[VK0903053]

せいじゃべつはな ることが、ほうもんに入ることです。」

離此二者,是為入不二法門。」[VK0903054]


らくじつさつ

樂實菩薩曰:[VK0903055]

しんじちじつは二です。

「實、不實為二。[VK0903056]

じっそうが見られる者はしんじちということさえ見られないのに(しんじちは仮に名をつけた概念だけ)、

實見者尚不見實,[VK0903057]

ましてやじつというものが見られるのでしょうか? なぜかというと、

何況非實?所以者何?[VK0903058]

しんじちじつにくがんで見られず、の目だけが見られるからです。

非肉眼所見,慧眼乃能見,[VK0903059]

このの目は見ることも見ないこともないのです。

而此慧眼,無見無不見,[VK0903060]

これを悟ることが、ほうもんに入ることです。」

是為入不二法門。」[VK0903061]



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