菩薩行
【維摩経】文殊師利問疾品
大乗菩薩行
維摩詰:
「文殊菩薩よ! 病気の菩薩はまさに次のように心を調伏すべきだ。
文殊師利!有疾菩薩應如是調伏其心,[VK0504001]
自分の心を調伏せずに心を調伏するのだ(自然に心を空にする)。なぜかというと、
不住其中,亦復不住不調伏心。所以者何?[VK0504002]
心を調伏せぬのは愚かな人のやり方だ。
若住不調伏心,是愚人法;[VK0504003]
意志を持って心を調伏するのは声聞のやり方だ(有為法)。
若住調伏心,是聲聞法。[VK0504004]
それゆえ、心を調伏することも心を調伏しないこともせず、
是故菩薩不當住於調伏、不調伏心,[VK0504005]
その二つのやり方を離れる(中道)、これが菩薩行(菩薩のやり方)だ。
離此二法,是菩薩行。[VK0504006]
生死輪廻に入るが、不浄な行為をせず、
在於生死,不為污行;[VK0504007]
涅槃の境地に至るが、永遠に涅槃に入らぬ。これが菩薩行だ。
住於涅槃,不永滅度,是菩薩行;[VK0504008]
凡夫のやり方でもなく、賢聖のやり方でもない。これが菩薩行だ。
非凡夫行,非賢聖行,是菩薩行;[VK0504009]
不浄でもなく、清浄でもない。これが菩薩行だ。
非垢行,非淨行,是菩薩行;[VK0504010]
悪魔を恐れないが、衆生のために悪魔を降伏させる。これが菩薩行だ。
雖過魔行,而現降眾魔,是菩薩行;[VK0504011]
一切智を求め、非時を求めぬ。これが菩薩行だ。
求一切智,無非時求,是菩薩行;[VK0504012]
諸法が不生不滅であると悟ったが、正位に入らぬ。これが菩薩行だ。
雖觀諸法不生,而不入正位,是菩薩行;[VK0504013]
十二縁起が分かったが、さまざまな邪見を捨てぬ。これが菩薩行だ。
雖觀十二緣起,而入諸邪見,是菩薩行;[VK0504014]
衆生を済度するが、皆に愛着はない。これが菩薩行だ。
雖攝一切眾生,而不愛著,是菩薩行;[VK0504015]
心・意識を離れる境地を楽しむが、心・意識を滅せぬ。これが菩薩行だ。
雖樂遠離,而不依身心盡,是菩薩行;[VK0504016]
三界を往復しているが、三界に染まっておらぬ。これが菩薩行だ。
雖行三界,而不壞法性,是菩薩行;[VK0504017]
空の境地に至ったが、さまざまな善を行う。これが菩薩行だ。
雖行於空,而植眾德本,是菩薩行;[VK0504018]
無相の境地(衆生なし)に至ったが、衆生を済度する。これが菩薩行だ。
雖行無相,而度眾生,是菩薩行;[VK0504019]
無作の境地に至ったが、衆生のために転生する。これが菩薩行だ。
雖行無作,而現受身,是菩薩行;[VK0504020]
無起(心を起こしていないこと)の境地に至ったが、一切の善行を発起する。これが菩薩行だ。
雖行無起,而起一切善行,是菩薩行;[VK0504021]
六波羅蜜(無相の境地に至る修行方法)を行うが、衆生の資質を見極めて皆を教化する。これが菩薩行だ。
雖行六波羅蜜,而遍知眾生心、心數法,是菩薩行;[VK0504022]
六神通(漏尽通は煩悩の尽きた境地)を習得したが、衆生のために煩悩に陥っている。これが菩薩行だ。
雖行六通,而不盡漏,是菩薩行;[VK0504023]
四無量心の境地に至ったが、大梵天(四無量心の境地に至った者が転生するところ)に転生することを欲さぬ。これが菩薩行だ。
雖行四無量心,而不貪著生於梵世,是菩薩行;[VK0504024]
四禅八定・八解脱の境地に至ったが、四禅天・無色界天に転生せぬ。これが菩薩行だ。
雖行禪定解脫三昧,而不隨禪生,是菩薩行;[VK0504025]
(三十七道品:四念処・四正勤・四如意足・五根・五力・七覚支・八正道)
四念処(身念処・受念処・心念処・法念処)を行うが、永遠に身・感受・心・法を離れることをせぬ。これが菩薩行だ。
雖行四念處,而不永離身、受、心、法,是菩薩行;[VK0504026]
四正勤(すでに生じた悪を除く・まだ生じていない悪を生じさせない・まだ生じていない善を生じさせる・すでに生じた善を続ける)の修行を完成したが、もっと努めて修行する。これが菩薩行だ。
雖行四正勤,而不捨身心精進,是菩薩行;[VK0504027]
四如意足(欲神足・勤神足・心神足・観神足)を習得したが、もっと鍛錬して上手になる。これが菩薩行だ。
雖行四如意足,而得自在神通,是菩薩行;[VK0504028]
五根が備わっているが、しかも衆生の五根を鑑定できる。これが菩薩行だ。
雖行五根,而分別眾生諸根利鈍,是菩薩行;[VK0504029]
五力を持っているが、しかも楽しんで如来の十力を修める。これが菩薩行だ。
雖行五力,而樂求佛十力,是菩薩行;[VK0504030]
七覚分(つまり七覚支。七種の悟りを開く境地。念覚支・択法覚支・精進覚支・喜覚支・軽安覚支・定覚支・捨覚支)の境地に至ったが、さらに如来の智慧を求める。これが菩薩行だ。
雖行七覺分,而分別佛之智慧,是菩薩行;[VK0504031]
八聖道(つまり八正道。正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)を行うが、さらに楽しんで無量の仏道を行う。これが菩薩行だ。
雖行八聖道,而樂行無量佛道,是菩薩行;[VK0504032]
止観の法を行うが、永遠に寂滅(涅槃)の境地に入ることをせぬ。これが菩薩行だ。
雖行止觀助道之法,而不畢竟墮於寂滅,是菩薩行;[VK0504033]
諸法が不生不滅であると知っているが、三十二相で身を荘厳にする。これが菩薩行だ。
雖行諸法不生不滅,而以相好莊嚴其身,是菩薩行;[VK0504034]
声聞・辟支仏など小乗の修行者の威儀を現しているが、仏法を捨てぬ。これが菩薩行だ。
雖現聲聞、辟支佛威儀,而不捨佛法,是菩薩行;[VK0504035]
諸法の究極の清浄な相(円満の相)を得たが、衆生に応じて種々の姿を現す。これが菩薩行だ。
雖隨諸法究竟淨相,而隨所應為現其身,是菩薩行;[VK0504036]
仏土の本質が静寂で空であると知っているが、種々の清浄な仏土を建設する。これが菩薩行だ。
雖觀諸佛國土永寂如空,而現種種清淨佛土,是菩薩行;[VK0504037]
すでに仏道を達成し、涅槃の境地に至り、法輪を回ったが、菩薩の道を捨てぬ。これが菩薩行だ。」
雖得佛道轉于法輪、入於涅槃,而不捨於菩薩之道,是菩薩行。」[VK0504038]
このように、維摩詰がこの教示を説いた時、
說是語時,[VK0504039]
文殊菩薩に従ってきた八千人の天子たちは皆、阿耨多羅三藐三菩提心を発しました。
文殊師利所將大眾其中八千天子,皆發阿耨多羅三藐三菩提心。[VK0504040]
【維摩経】文殊師利問疾品
大乗菩薩行
維摩詰:
「文殊菩薩よ! 病気の菩薩はまさに次のように心を調伏すべきだ。
文殊師利!有疾菩薩應如是調伏其心,[VK0504001]
自分の心を調伏せずに心を調伏するのだ(自然に心を空にする)。なぜかというと、
不住其中,亦復不住不調伏心。所以者何?[VK0504002]
心を調伏せぬのは愚かな人のやり方だ。
若住不調伏心,是愚人法;[VK0504003]
意志を持って心を調伏するのは声聞のやり方だ(有為法)。
若住調伏心,是聲聞法。[VK0504004]
それゆえ、心を調伏することも心を調伏しないこともせず、
是故菩薩不當住於調伏、不調伏心,[VK0504005]
その二つのやり方を離れる(中道)、これが菩薩行(菩薩のやり方)だ。
離此二法,是菩薩行。[VK0504006]
生死輪廻に入るが、不浄な行為をせず、
在於生死,不為污行;[VK0504007]
涅槃の境地に至るが、永遠に涅槃に入らぬ。これが菩薩行だ。
住於涅槃,不永滅度,是菩薩行;[VK0504008]
凡夫のやり方でもなく、賢聖のやり方でもない。これが菩薩行だ。
非凡夫行,非賢聖行,是菩薩行;[VK0504009]
不浄でもなく、清浄でもない。これが菩薩行だ。
非垢行,非淨行,是菩薩行;[VK0504010]
悪魔を恐れないが、衆生のために悪魔を降伏させる。これが菩薩行だ。
雖過魔行,而現降眾魔,是菩薩行;[VK0504011]
一切智を求め、非時を求めぬ。これが菩薩行だ。
求一切智,無非時求,是菩薩行;[VK0504012]
諸法が不生不滅であると悟ったが、正位に入らぬ。これが菩薩行だ。
雖觀諸法不生,而不入正位,是菩薩行;[VK0504013]
十二縁起が分かったが、さまざまな邪見を捨てぬ。これが菩薩行だ。
雖觀十二緣起,而入諸邪見,是菩薩行;[VK0504014]
衆生を済度するが、皆に愛着はない。これが菩薩行だ。
雖攝一切眾生,而不愛著,是菩薩行;[VK0504015]
心・意識を離れる境地を楽しむが、心・意識を滅せぬ。これが菩薩行だ。
雖樂遠離,而不依身心盡,是菩薩行;[VK0504016]
三界を往復しているが、三界に染まっておらぬ。これが菩薩行だ。
雖行三界,而不壞法性,是菩薩行;[VK0504017]
空の境地に至ったが、さまざまな善を行う。これが菩薩行だ。
雖行於空,而植眾德本,是菩薩行;[VK0504018]
無相の境地(衆生なし)に至ったが、衆生を済度する。これが菩薩行だ。
雖行無相,而度眾生,是菩薩行;[VK0504019]
無作の境地に至ったが、衆生のために転生する。これが菩薩行だ。
雖行無作,而現受身,是菩薩行;[VK0504020]
無起(心を起こしていないこと)の境地に至ったが、一切の善行を発起する。これが菩薩行だ。
雖行無起,而起一切善行,是菩薩行;[VK0504021]
六波羅蜜(無相の境地に至る修行方法)を行うが、衆生の資質を見極めて皆を教化する。これが菩薩行だ。
雖行六波羅蜜,而遍知眾生心、心數法,是菩薩行;[VK0504022]
六神通(漏尽通は煩悩の尽きた境地)を習得したが、衆生のために煩悩に陥っている。これが菩薩行だ。
雖行六通,而不盡漏,是菩薩行;[VK0504023]
四無量心の境地に至ったが、大梵天(四無量心の境地に至った者が転生するところ)に転生することを欲さぬ。これが菩薩行だ。
雖行四無量心,而不貪著生於梵世,是菩薩行;[VK0504024]
四禅八定・八解脱の境地に至ったが、四禅天・無色界天に転生せぬ。これが菩薩行だ。
雖行禪定解脫三昧,而不隨禪生,是菩薩行;[VK0504025]
(三十七道品:四念処・四正勤・四如意足・五根・五力・七覚支・八正道)
四念処(身念処・受念処・心念処・法念処)を行うが、永遠に身・感受・心・法を離れることをせぬ。これが菩薩行だ。
雖行四念處,而不永離身、受、心、法,是菩薩行;[VK0504026]
四正勤(すでに生じた悪を除く・まだ生じていない悪を生じさせない・まだ生じていない善を生じさせる・すでに生じた善を続ける)の修行を完成したが、もっと努めて修行する。これが菩薩行だ。
雖行四正勤,而不捨身心精進,是菩薩行;[VK0504027]
四如意足(欲神足・勤神足・心神足・観神足)を習得したが、もっと鍛錬して上手になる。これが菩薩行だ。
雖行四如意足,而得自在神通,是菩薩行;[VK0504028]
五根が備わっているが、しかも衆生の五根を鑑定できる。これが菩薩行だ。
雖行五根,而分別眾生諸根利鈍,是菩薩行;[VK0504029]
五力を持っているが、しかも楽しんで如来の十力を修める。これが菩薩行だ。
雖行五力,而樂求佛十力,是菩薩行;[VK0504030]
七覚分(つまり七覚支。七種の悟りを開く境地。念覚支・択法覚支・精進覚支・喜覚支・軽安覚支・定覚支・捨覚支)の境地に至ったが、さらに如来の智慧を求める。これが菩薩行だ。
雖行七覺分,而分別佛之智慧,是菩薩行;[VK0504031]
八聖道(つまり八正道。正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)を行うが、さらに楽しんで無量の仏道を行う。これが菩薩行だ。
雖行八聖道,而樂行無量佛道,是菩薩行;[VK0504032]
止観の法を行うが、永遠に寂滅(涅槃)の境地に入ることをせぬ。これが菩薩行だ。
雖行止觀助道之法,而不畢竟墮於寂滅,是菩薩行;[VK0504033]
諸法が不生不滅であると知っているが、三十二相で身を荘厳にする。これが菩薩行だ。
雖行諸法不生不滅,而以相好莊嚴其身,是菩薩行;[VK0504034]
声聞・辟支仏など小乗の修行者の威儀を現しているが、仏法を捨てぬ。これが菩薩行だ。
雖現聲聞、辟支佛威儀,而不捨佛法,是菩薩行;[VK0504035]
諸法の究極の清浄な相(円満の相)を得たが、衆生に応じて種々の姿を現す。これが菩薩行だ。
雖隨諸法究竟淨相,而隨所應為現其身,是菩薩行;[VK0504036]
仏土の本質が静寂で空であると知っているが、種々の清浄な仏土を建設する。これが菩薩行だ。
雖觀諸佛國土永寂如空,而現種種清淨佛土,是菩薩行;[VK0504037]
すでに仏道を達成し、涅槃の境地に至り、法輪を回ったが、菩薩の道を捨てぬ。これが菩薩行だ。」
雖得佛道轉于法輪、入於涅槃,而不捨於菩薩之道,是菩薩行。」[VK0504038]
このように、維摩詰がこの教示を説いた時、
說是語時,[VK0504039]
文殊菩薩に従ってきた八千人の天子たちは皆、阿耨多羅三藐三菩提心を発しました。
文殊師利所將大眾其中八千天子,皆發阿耨多羅三藐三菩提心。[VK0504040]