仏法
【維摩経】不思議品
仏法を求める者
その時、シャーリプトラ(智慧第一の弟子)は部屋には腰掛けのないことに気づいて、こう思いました。
爾時舍利弗見此室中無有床座,作是念:[VK0601001]
「菩薩たちと大弟子たちは皆、どこに座ればいいのだろう?」
「斯諸菩薩、大弟子眾,當於何坐?」[VK0601002]
維摩詰はシャーリプトラの思いに気づき、彼に言いました。
長者維摩詰知其意,語舍利弗言:[VK0601003]
「御仁よ! どうかしたか? お前は仏法のためにここにやってきたのか?
「云何仁者?為法來耶?[VK0601004]
それとも腰掛けのためにここにやってきたのか?」
求床座耶?」[VK0601005]
シャーリプトラは答えました。
舍利弗言:[VK0601006]
「私は仏法のためにここにやって参りました。
「我為法來,[VK0601007]
腰掛けのためではございません。」
非為床座。」[VK0601008]
維摩詰は語りました。
維摩詰言:[VK0601009]
「よく聞きなさい。シャーリプトラさんよ!
「唯,舍利弗![VK0601010]
仏法を求める者は身や命さえ惜しまない。ましてや腰掛けなどなおさらだ。
夫求法者,不貪軀命,何況床座?[VK0601011]
仏法を求める者は、
夫求法者,[VK0601012]
五蘊を求めず、
非有色、受、想、行、識之求,[VK0601013]
十八界(十二入と六識)・十二入(六根と六塵)を求めず、
非有界、入之求,[VK0601014]
欲界・色界・無色界を求めないのだ。
非有欲、色、無色之求。[VK0601015]
(三宝:仏・法・僧)
シャーリプトラさんよ! 仏法を求める者は、
唯,舍利弗!夫求法者,[VK0601016]
仏になることに執着せず、
不著佛求,[VK0601017]
仏法を求めることにも執着せず、
不著法求,[VK0601018]
僧になることにも執着しないのだ。
不著眾求;[VK0601019]
(四聖諦:苦諦・集諦・滅諦・道諦)
仏法を求める者は、
夫求法者,[VK0601020]
苦しみの根源を見極めることを求めず、
無見苦求,[VK0601021]
苦しみの集まりを断ち切ることを求めず、
無斷集求,[VK0601022]
苦しみを滅することを求めず、
無造盡證、[VK0601023]
また修道を求めないのだ。なぜなら、
修道之求。所以者何?[VK0601024]
仏法は戯論ではないからだ。
法無戲論,[VK0601025]
もし、私が苦しみの根源を悟り、
若言我當見苦、[VK0601026]
苦しみの集まりを断ち切り、
斷集、[VK0601027]
苦しみを滅し、
證滅、[VK0601028]
修道をすると言えば、
修道,[VK0601029]
これは戯論であり、仏法を求めることではないのだ。
是則戲論,非求法也。[VK0601030]
よく聞きなさい! シャーリプトラさんよ!
唯,舍利弗![VK0601031]
仏法の名は寂滅であり、もし生滅のことを行えば、
法名寂滅,若行生滅,[VK0601032]
これは生滅を求めることであり、仏法を求めることではないのだ。
是求生滅,非求法也;[VK0601033]
仏法の名は無染(染まることがないこと)であり、もし仏法や涅槃に執着すれば、
法名無染,若染於法乃至涅槃,[VK0601034]
これは染まることであり、仏法を求めることではないのだ。
是則染著,非求法也;[VK0601035]
仏法は行うことがなく、もし何かを行えば、
法無行處,若行於法,[VK0601036]
これは行うことであり、仏法を求めることではないのだ。
是則行處,非求法也;[VK0601037]
仏法は取捨を離れ、もし取捨をすれば、
法無取捨,若取捨法,[VK0601038]
これは取捨することであり、仏法を求めることではないのだ。
是則取捨,非求法也;[VK0601039]
仏法において空間の概念はなく、もし空間の観念にとらわれれば、
法無處所,若著處所,[VK0601040]
これは空間の観念にとらわれることであり、仏法を求めることではないのだ。
是則著處,非求法也;[VK0601041]
仏法の名は無相であり、もし心が相・六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)に陥れば、
法名無相,若隨相識,[VK0601042]
これは相を求めることであり、仏法を求めることではないのだ。
是則求相,非求法也;[VK0601043]
仏法は執着を離れていて、もし仏法に執着すれば、
法不可住,若住於法,[VK0601044]
これは仏法に執着することであり、仏法を求めることではないのだ。
是則住法,非求法也;[VK0601045]
仏法は見・聞・覚・知(見ること・聞くこと・感じること・知ること)を離れ、もし見・聞・覚・知を行えば、
法不可見、聞、覺、知,若行見、聞、覺、知,[VK0601046]
これは見・聞・覚・知のことであり、仏法を求めることではないのだ。
是則見、聞、覺、知,非求法也;[VK0601047]
仏法の名は無為であり、もし有為のことを行えば、
法名無為,若行有為,[VK0601048]
これは有為の法を求めることであり、仏法を求めることではないのだ。
是求有為,非求法也:[VK0601049]
それゆえ、シャーリプトラさんよ!
是故,舍利弗![VK0601050]
仏法を求める者は何も求めるべきではないのだ。」
若求法者,於一切法,應無所求。」[VK0601051]
維摩詰がこの教示を説いた時、五百人の天子はあらゆる法が分かる清浄な法眼を得ました。
說是語時,五百天子於諸法中得法眼淨。[VK0601052]
【維摩経】不思議品
仏法を求める者
その時、シャーリプトラ(智慧第一の弟子)は部屋には腰掛けのないことに気づいて、こう思いました。
爾時舍利弗見此室中無有床座,作是念:[VK0601001]
「菩薩たちと大弟子たちは皆、どこに座ればいいのだろう?」
「斯諸菩薩、大弟子眾,當於何坐?」[VK0601002]
維摩詰はシャーリプトラの思いに気づき、彼に言いました。
長者維摩詰知其意,語舍利弗言:[VK0601003]
「御仁よ! どうかしたか? お前は仏法のためにここにやってきたのか?
「云何仁者?為法來耶?[VK0601004]
それとも腰掛けのためにここにやってきたのか?」
求床座耶?」[VK0601005]
シャーリプトラは答えました。
舍利弗言:[VK0601006]
「私は仏法のためにここにやって参りました。
「我為法來,[VK0601007]
腰掛けのためではございません。」
非為床座。」[VK0601008]
維摩詰は語りました。
維摩詰言:[VK0601009]
「よく聞きなさい。シャーリプトラさんよ!
「唯,舍利弗![VK0601010]
仏法を求める者は身や命さえ惜しまない。ましてや腰掛けなどなおさらだ。
夫求法者,不貪軀命,何況床座?[VK0601011]
仏法を求める者は、
夫求法者,[VK0601012]
五蘊を求めず、
非有色、受、想、行、識之求,[VK0601013]
十八界(十二入と六識)・十二入(六根と六塵)を求めず、
非有界、入之求,[VK0601014]
欲界・色界・無色界を求めないのだ。
非有欲、色、無色之求。[VK0601015]
(三宝:仏・法・僧)
シャーリプトラさんよ! 仏法を求める者は、
唯,舍利弗!夫求法者,[VK0601016]
仏になることに執着せず、
不著佛求,[VK0601017]
仏法を求めることにも執着せず、
不著法求,[VK0601018]
僧になることにも執着しないのだ。
不著眾求;[VK0601019]
(四聖諦:苦諦・集諦・滅諦・道諦)
仏法を求める者は、
夫求法者,[VK0601020]
苦しみの根源を見極めることを求めず、
無見苦求,[VK0601021]
苦しみの集まりを断ち切ることを求めず、
無斷集求,[VK0601022]
苦しみを滅することを求めず、
無造盡證、[VK0601023]
また修道を求めないのだ。なぜなら、
修道之求。所以者何?[VK0601024]
仏法は戯論ではないからだ。
法無戲論,[VK0601025]
もし、私が苦しみの根源を悟り、
若言我當見苦、[VK0601026]
苦しみの集まりを断ち切り、
斷集、[VK0601027]
苦しみを滅し、
證滅、[VK0601028]
修道をすると言えば、
修道,[VK0601029]
これは戯論であり、仏法を求めることではないのだ。
是則戲論,非求法也。[VK0601030]
よく聞きなさい! シャーリプトラさんよ!
唯,舍利弗![VK0601031]
仏法の名は寂滅であり、もし生滅のことを行えば、
法名寂滅,若行生滅,[VK0601032]
これは生滅を求めることであり、仏法を求めることではないのだ。
是求生滅,非求法也;[VK0601033]
仏法の名は無染(染まることがないこと)であり、もし仏法や涅槃に執着すれば、
法名無染,若染於法乃至涅槃,[VK0601034]
これは染まることであり、仏法を求めることではないのだ。
是則染著,非求法也;[VK0601035]
仏法は行うことがなく、もし何かを行えば、
法無行處,若行於法,[VK0601036]
これは行うことであり、仏法を求めることではないのだ。
是則行處,非求法也;[VK0601037]
仏法は取捨を離れ、もし取捨をすれば、
法無取捨,若取捨法,[VK0601038]
これは取捨することであり、仏法を求めることではないのだ。
是則取捨,非求法也;[VK0601039]
仏法において空間の概念はなく、もし空間の観念にとらわれれば、
法無處所,若著處所,[VK0601040]
これは空間の観念にとらわれることであり、仏法を求めることではないのだ。
是則著處,非求法也;[VK0601041]
仏法の名は無相であり、もし心が相・六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)に陥れば、
法名無相,若隨相識,[VK0601042]
これは相を求めることであり、仏法を求めることではないのだ。
是則求相,非求法也;[VK0601043]
仏法は執着を離れていて、もし仏法に執着すれば、
法不可住,若住於法,[VK0601044]
これは仏法に執着することであり、仏法を求めることではないのだ。
是則住法,非求法也;[VK0601045]
仏法は見・聞・覚・知(見ること・聞くこと・感じること・知ること)を離れ、もし見・聞・覚・知を行えば、
法不可見、聞、覺、知,若行見、聞、覺、知,[VK0601046]
これは見・聞・覚・知のことであり、仏法を求めることではないのだ。
是則見、聞、覺、知,非求法也;[VK0601047]
仏法の名は無為であり、もし有為のことを行えば、
法名無為,若行有為,[VK0601048]
これは有為の法を求めることであり、仏法を求めることではないのだ。
是求有為,非求法也:[VK0601049]
それゆえ、シャーリプトラさんよ!
是故,舍利弗![VK0601050]
仏法を求める者は何も求めるべきではないのだ。」
若求法者,於一切法,應無所求。」[VK0601051]
維摩詰がこの教示を説いた時、五百人の天子はあらゆる法が分かる清浄な法眼を得ました。
說是語時,五百天子於諸法中得法眼淨。[VK0601052]