束縛

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 > 3.束縛と解脱


 そくばくだつ


ゆいきつ
「病気のさつはまたこのように思うべきだ。

彼有疾菩薩應復作是念:[VK0503001]

『いま私の病気はしんじちではないし、

『如我此病,非真非有,[VK0503002]

しゅじょうの病気も同じくしんじちてはないのだ。』

眾生病亦非真非有。』[VK0503003]

もしそう思う時、大の心にしゅじょうへのあいちゃくがあれば、

作是觀時,於諸眾生若起愛見大悲,[VK0503004]

そのあいちゃくの気持ちをすぐ捨てなくてはいけぬ。なぜなら、

即應捨離。所以者何?[VK0503005]

さつはさまざまなぼんのうじゃけんを断ち切って大の心を起こすが、

菩薩斷除客塵煩惱而起大悲,[VK0503006]

もしあいちゃくの気持ちがあれば、しょうりんに対してきっとうんざりするだろう(好きなものがあれば、必ず嫌いなものもある)。

愛見悲者,則於生死有疲厭心;[VK0503007]

もしあいちゃくの気持ちがなければ、けんたい感を起こさないのだ。

若能離此,無有疲厭,[VK0503008]

どこに転生しても、あいちゃくの気持ちにとらわれぬ。

在在所生,不為愛見之所覆也。[VK0503009]


そくばくがなければ、しゅじょうに仏法を説いて皆をそくばくから解放することができる。

所生無縛,能為眾生說法解縛,[VK0503010]

にょらい様はこうおっしゃっている。

如佛所說:[VK0503011]

『自分がそくばくされていても他人をそくばくから解放できると、そんなことはないのだ。

『若自有縛能解彼縛,無有是處;[VK0503012]

そくばくされていない者が他人をそくばくから解放する、それはできるだろう。』

若自無縛能解彼縛,斯有是處。』[VK0503013]

それゆえ、さつそくばくの心を起こしてはいけないのだ。

是故菩薩不應起縛。[VK0503014]


では、そくばくとは何か? だつとは何か? 

何謂縛?何謂解?[VK0503015]

ぜんじょうゆえを欲する、これはそくばくだ(ぜんじょうに入ってしゅじょうさいしない)。

貪著禪味,是菩薩縛;[VK0503016]

ほう便べんによって転生する、これはだつだ(しゅじょうさいする)。

以方便生,是菩薩解。[VK0503017]


また、ほう便べんのないそくばくである。

又無方便慧縛,[VK0503018]

ほう便べんのあるだつである。

有方便慧解;[VK0503019]

のないほう便べんそくばくである。

無慧方便縛,[VK0503020]

のあるほう便べんだつである。

有慧方便解。[VK0503021]


では、ほう便べんのないそくばくである、これはどういう意味か? 

何謂無方便慧縛?[VK0503022]

さつしゅじょうあいちゃくがあるので仏土をしょうげんにし、しゅじょうを助ける。

謂菩薩以愛見心莊嚴佛土、成就眾生;[VK0503023]

だつ門の修行によって自分の心を調じょうぶくする。

於空、無相、無作法中,而自調伏,[VK0503024]

これをほう便べんのないそくばくであるという。

是名無方便慧縛。[VK0503025]


では、ほう便べんのあるだつである、これはどういう意味か? 

何謂有方便慧解?[VK0503026]

さつあいちゃくの心を捨てて仏土をしょうげんにし、しゅじょうを助ける。

謂不以愛見心莊嚴佛土、成就眾生,[VK0503027]

だつ門の修行によって自分の心を調じょうぶくし、しかもけんたいすることもない。

於空、無相、無作法中,以自調伏而不疲厭,[VK0503028]

これをほう便べんのあるだつであるという。

是名有方便慧解。[VK0503029]


では、のないほう便べんそくばくである、これはどういう意味か? 

何謂無慧方便縛?[VK0503030]

さつたんよくしんじゃけんなどさまざまなぼんのうにとらわれて、

謂菩薩住貪欲、瞋恚、邪見等諸煩惱,[VK0503031]

種々の善を行う。

而植眾德本,[VK0503032]

これをのないほう便べんそくばくであるという。

是名無慧方便縛。[VK0503033]


では、のあるほう便べんだつである、これはどういう意味か? 

何謂有慧方便解?[VK0503034]

さつたんよくしんじゃけんなどさまざまなぼんのうはな ていて、

謂離諸貪欲、瞋恚、邪見等諸煩惱,[VK0503035]

種々の善を行う。

而植眾德本,[VK0503036]

そして、こうしてそのどくによってのくさんみゃくさんだいを求める。

迴向阿耨多羅三藐三菩提,[VK0503037]

これをのあるほう便べんだつであるという。

是名有慧方便解。[VK0503038]


もんじゅさつよ! また、病気のさつは次のようにしょほうを理解すべきだ。

文殊師利!彼有疾菩薩,應如是觀諸法。[VK0503039]

身の性質はじょう・苦しみ・空 くう (我ではない)だと。これはだ。

又復觀身無常、苦、空、非我,是名為慧,[VK0503040]

病気になっていても、常にしょうりんに入り、

雖身有疾,常在生死,[VK0503041]

すべてのしゅじょうを益し、しかもうんざりせぬ。これはほう便べんだ。

饒益一切,而不厭倦,是名方便;[VK0503042]

また、身は病をはな られず、病もまた身をはな られず、

又復觀身,身不離病,病不離身,[VK0503043]

身と病は、新しいものではなく、古いものでもない(ただ四大元素のへん)。

是病是身,非新非故,[VK0503044]

そのように理解するのをと称える。

是名為慧,[VK0503045]

たとえ病気になっていても、身を捨ててはんに入ることをせぬ。これをほう便べんと称えるのだ。」

設身有疾,而不永滅,是名方便。[VK0503046]



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