束縛
【維摩経】文殊師利問疾品
束縛と解脱
維摩詰:
「病気の菩薩はまたこのように思うべきだ。
彼有疾菩薩應復作是念:[VK0503001]
『いま私の病気は真実ではないし、
『如我此病,非真非有,[VK0503002]
衆生の病気も同じく真実てはないのだ。』
眾生病亦非真非有。』[VK0503003]
もしそう思う時、大慈悲の心に衆生への愛着があれば、
作是觀時,於諸眾生若起愛見大悲,[VK0503004]
その愛着の気持ちをすぐ捨てなくてはいけぬ。なぜなら、
即應捨離。所以者何?[VK0503005]
菩薩はさまざまな煩悩と邪見を断ち切って大慈悲の心を起こすが、
菩薩斷除客塵煩惱而起大悲,[VK0503006]
もし愛着の気持ちがあれば、生死輪廻に対してきっとうんざりするだろう(好きなものがあれば、必ず嫌いなものもある)。
愛見悲者,則於生死有疲厭心;[VK0503007]
もし愛着の気持ちがなければ、倦怠感を起こさないのだ。
若能離此,無有疲厭,[VK0503008]
どこに転生しても、愛着の気持ちにとらわれぬ。
在在所生,不為愛見之所覆也。[VK0503009]
束縛がなければ、衆生に仏法を説いて皆を束縛から解放することができる。
所生無縛,能為眾生說法解縛,[VK0503010]
如来様はこうおっしゃっている。
如佛所說:[VK0503011]
『自分が束縛されていても他人を束縛から解放できると、そんなことはないのだ。
『若自有縛能解彼縛,無有是處;[VK0503012]
束縛されていない者が他人を束縛から解放する、それはできるだろう。』
若自無縛能解彼縛,斯有是處。』[VK0503013]
それゆえ、菩薩は束縛の心を起こしてはいけないのだ。
是故菩薩不應起縛。[VK0503014]
では、束縛とは何か? 解脱とは何か?
何謂縛?何謂解?[VK0503015]
禅定の愉悦を欲する、これは束縛だ(禅定に入って衆生を済度しない)。
貪著禪味,是菩薩縛;[VK0503016]
方便によって転生する、これは解脱だ(衆生を済度する)。
以方便生,是菩薩解。[VK0503017]
また、方便のない智慧は束縛である。
又無方便慧縛,[VK0503018]
方便のある智慧は解脱である。
有方便慧解;[VK0503019]
智慧のない方便は束縛である。
無慧方便縛,[VK0503020]
智慧のある方便は解脱である。
有慧方便解。[VK0503021]
では、方便のない智慧は束縛である、これはどういう意味か?
何謂無方便慧縛?[VK0503022]
菩薩は衆生に愛着があるので仏土を荘厳にし、衆生を助ける。
謂菩薩以愛見心莊嚴佛土、成就眾生;[VK0503023]
三解脱門の修行によって自分の心を調伏する。
於空、無相、無作法中,而自調伏,[VK0503024]
これを方便のない智慧は束縛であるという。
是名無方便慧縛。[VK0503025]
では、方便のある智慧は解脱である、これはどういう意味か?
何謂有方便慧解?[VK0503026]
菩薩は愛着の心を捨てて仏土を荘厳にし、衆生を助ける。
謂不以愛見心莊嚴佛土、成就眾生,[VK0503027]
三解脱門の修行によって自分の心を調伏し、しかも倦怠することもない。
於空、無相、無作法中,以自調伏而不疲厭,[VK0503028]
これを方便のある智慧は解脱であるという。
是名有方便慧解。[VK0503029]
では、智慧のない方便は束縛である、これはどういう意味か?
何謂無慧方便縛?[VK0503030]
菩薩は貪欲・瞋恚・邪見などさまざまな煩悩にとらわれて、
謂菩薩住貪欲、瞋恚、邪見等諸煩惱,[VK0503031]
種々の善を行う。
而植眾德本,[VK0503032]
これを智慧のない方便は束縛であるという。
是名無慧方便縛。[VK0503033]
では、智慧のある方便は解脱である、これはどういう意味か?
何謂有慧方便解?[VK0503034]
菩薩は貪欲・瞋恚・邪見などさまざまな煩悩を離れていて、
謂離諸貪欲、瞋恚、邪見等諸煩惱,[VK0503035]
種々の善を行う。
而植眾德本,[VK0503036]
そして、廻向してその功徳によって阿耨多羅三藐三菩提を求める。
迴向阿耨多羅三藐三菩提,[VK0503037]
これを智慧のある方便は解脱であるという。
是名有慧方便解。[VK0503038]
文殊菩薩よ! また、病気の菩薩は次のように諸法を理解すべきだ。
文殊師利!彼有疾菩薩,應如是觀諸法。[VK0503039]
身の性質は無常・苦しみ・空・非我(我ではない)だと。これは智慧だ。
又復觀身無常、苦、空、非我,是名為慧,[VK0503040]
病気になっていても、常に生死輪廻に入り、
雖身有疾,常在生死,[VK0503041]
すべての衆生を益し、しかもうんざりせぬ。これは方便だ。
饒益一切,而不厭倦,是名方便;[VK0503042]
また、身は病を離れられず、病もまた身を離れられず、
又復觀身,身不離病,病不離身,[VK0503043]
身と病は、新しいものではなく、古いものでもない(ただ四大元素の変化)。
是病是身,非新非故,[VK0503044]
そのように理解するのを智慧と称える。
是名為慧,[VK0503045]
たとえ病気になっていても、身を捨てて涅槃に入ることをせぬ。これを方便と称えるのだ。」
設身有疾,而不永滅,是名方便。[VK0503046]
【維摩経】文殊師利問疾品
束縛と解脱
維摩詰:
「病気の菩薩はまたこのように思うべきだ。
彼有疾菩薩應復作是念:[VK0503001]
『いま私の病気は真実ではないし、
『如我此病,非真非有,[VK0503002]
衆生の病気も同じく真実てはないのだ。』
眾生病亦非真非有。』[VK0503003]
もしそう思う時、大慈悲の心に衆生への愛着があれば、
作是觀時,於諸眾生若起愛見大悲,[VK0503004]
その愛着の気持ちをすぐ捨てなくてはいけぬ。なぜなら、
即應捨離。所以者何?[VK0503005]
菩薩はさまざまな煩悩と邪見を断ち切って大慈悲の心を起こすが、
菩薩斷除客塵煩惱而起大悲,[VK0503006]
もし愛着の気持ちがあれば、生死輪廻に対してきっとうんざりするだろう(好きなものがあれば、必ず嫌いなものもある)。
愛見悲者,則於生死有疲厭心;[VK0503007]
もし愛着の気持ちがなければ、倦怠感を起こさないのだ。
若能離此,無有疲厭,[VK0503008]
どこに転生しても、愛着の気持ちにとらわれぬ。
在在所生,不為愛見之所覆也。[VK0503009]
束縛がなければ、衆生に仏法を説いて皆を束縛から解放することができる。
所生無縛,能為眾生說法解縛,[VK0503010]
如来様はこうおっしゃっている。
如佛所說:[VK0503011]
『自分が束縛されていても他人を束縛から解放できると、そんなことはないのだ。
『若自有縛能解彼縛,無有是處;[VK0503012]
束縛されていない者が他人を束縛から解放する、それはできるだろう。』
若自無縛能解彼縛,斯有是處。』[VK0503013]
それゆえ、菩薩は束縛の心を起こしてはいけないのだ。
是故菩薩不應起縛。[VK0503014]
では、束縛とは何か? 解脱とは何か?
何謂縛?何謂解?[VK0503015]
禅定の愉悦を欲する、これは束縛だ(禅定に入って衆生を済度しない)。
貪著禪味,是菩薩縛;[VK0503016]
方便によって転生する、これは解脱だ(衆生を済度する)。
以方便生,是菩薩解。[VK0503017]
また、方便のない智慧は束縛である。
又無方便慧縛,[VK0503018]
方便のある智慧は解脱である。
有方便慧解;[VK0503019]
智慧のない方便は束縛である。
無慧方便縛,[VK0503020]
智慧のある方便は解脱である。
有慧方便解。[VK0503021]
では、方便のない智慧は束縛である、これはどういう意味か?
何謂無方便慧縛?[VK0503022]
菩薩は衆生に愛着があるので仏土を荘厳にし、衆生を助ける。
謂菩薩以愛見心莊嚴佛土、成就眾生;[VK0503023]
三解脱門の修行によって自分の心を調伏する。
於空、無相、無作法中,而自調伏,[VK0503024]
これを方便のない智慧は束縛であるという。
是名無方便慧縛。[VK0503025]
では、方便のある智慧は解脱である、これはどういう意味か?
何謂有方便慧解?[VK0503026]
菩薩は愛着の心を捨てて仏土を荘厳にし、衆生を助ける。
謂不以愛見心莊嚴佛土、成就眾生,[VK0503027]
三解脱門の修行によって自分の心を調伏し、しかも倦怠することもない。
於空、無相、無作法中,以自調伏而不疲厭,[VK0503028]
これを方便のある智慧は解脱であるという。
是名有方便慧解。[VK0503029]
では、智慧のない方便は束縛である、これはどういう意味か?
何謂無慧方便縛?[VK0503030]
菩薩は貪欲・瞋恚・邪見などさまざまな煩悩にとらわれて、
謂菩薩住貪欲、瞋恚、邪見等諸煩惱,[VK0503031]
種々の善を行う。
而植眾德本,[VK0503032]
これを智慧のない方便は束縛であるという。
是名無慧方便縛。[VK0503033]
では、智慧のある方便は解脱である、これはどういう意味か?
何謂有慧方便解?[VK0503034]
菩薩は貪欲・瞋恚・邪見などさまざまな煩悩を離れていて、
謂離諸貪欲、瞋恚、邪見等諸煩惱,[VK0503035]
種々の善を行う。
而植眾德本,[VK0503036]
そして、廻向してその功徳によって阿耨多羅三藐三菩提を求める。
迴向阿耨多羅三藐三菩提,[VK0503037]
これを智慧のある方便は解脱であるという。
是名有慧方便解。[VK0503038]
文殊菩薩よ! また、病気の菩薩は次のように諸法を理解すべきだ。
文殊師利!彼有疾菩薩,應如是觀諸法。[VK0503039]
身の性質は無常・苦しみ・空・非我(我ではない)だと。これは智慧だ。
又復觀身無常、苦、空、非我,是名為慧,[VK0503040]
病気になっていても、常に生死輪廻に入り、
雖身有疾,常在生死,[VK0503041]
すべての衆生を益し、しかもうんざりせぬ。これは方便だ。
饒益一切,而不厭倦,是名方便;[VK0503042]
また、身は病を離れられず、病もまた身を離れられず、
又復觀身,身不離病,病不離身,[VK0503043]
身と病は、新しいものではなく、古いものでもない(ただ四大元素の変化)。
是病是身,非新非故,[VK0503044]
そのように理解するのを智慧と称える。
是名為慧,[VK0503045]
たとえ病気になっていても、身を捨てて涅槃に入ることをせぬ。これを方便と称えるのだ。」
設身有疾,而不永滅,是名方便。[VK0503046]