如来のお身
【維摩経】見阿閦仏品
如来のお身
その時、お釈迦様は維摩詰に問いました。
爾時世尊問維摩詰:[VK1201001]
「如来を見る時、お前は何の観念を抱いているのか?」
「汝欲見如來,為以何等觀如來乎?」[VK1201002]
維摩詰は答えました。
維摩詰言:[VK1201003]
「身の実相(真如)を見るように如来を拝見するのです。
「如自觀身實相,觀佛亦然。[VK1201004]
私の理解したところによると、如来様は過去から来られるのではなく、
我觀如來前際不來,[VK1201005]
未来にも行かれず、
後際不去,[VK1201006]
現在にとどまられることもございません。
今則不住;[VK1201007]
私は、色(相)を観察せず、
不觀色,[VK1201008]
色の本質も観察せず、
不觀色如,[VK1201009]
色の性質も観察せず、
不觀色性,[VK1201010]
受・想・行・識も観察せず、
不觀受、想、行、識,[VK1201011]
識の本質も観察せず、
不觀識如,[VK1201012]
識の性質も観察しません。
不觀識性,[VK1201013]
(色・受・想・行・識を通じて観測できない)
如来様は、四大のお身ではなく、
非四大起,[VK1201014]
虚空に等しく、
同於虛空;[VK1201015]
六入を集積されず、
六入無積,[VK1201016]
六根の制限を超えられ、
眼、耳、鼻、舌、身、心已過;[VK1201017]
三界を離れられ、
不在三界,[VK1201018]
三毒を断ち切られ、
三垢已離,[VK1201019]
三解脱門に従われ、
順三脫門,[VK1201020]
三明を備えられ、
具足三明,[VK1201021]
無明と異ならないのです。
與無明等;[VK1201022]
一相でもなく、異相でもなく、
不一相、不異相,[VK1201023]
自相(独自の相)でもなく、他相(他の相)でもなく、
不自相、不他相,[VK1201024]
無相でもなく、取相(相を取ること)でもなく、
非無相、非取相;[VK1201025]
此岸(俗世間)におられず、彼岸にもおられず、
不此岸,不彼岸,[VK1201026]
此岸と彼岸の中間にもおられず、その状態で衆生を教化されます。
不中流而化眾生;[VK1201027]
寂滅の境地に至られても、涅槃に入られず、
觀於寂滅,亦不永滅;[VK1201028]
自分でもなく、他人でもなく、
不此不彼,[VK1201029]
これでもなく、それでもなく、
不以此,不以彼;[VK1201030]
智慧によって知ることができず、
不可以智知,[VK1201031]
六識によって認識することもできないのです。
不可以識識;[VK1201032]
闇もなく、輝きもなく、
無晦無明,[VK1201033]
名もなく、相もなく
無名無相,[VK1201034]
強さもなく、弱さもなく、
無強無弱,[VK1201035]
清浄でもなく、不浄でもなく、
非淨非穢;[VK1201036]
どの方向にもおられず、どの方向からも離れられず、
不在方,不離方,[VK1201037]
有為でもなく、無為でもなく
非有為,非無為,[VK1201038]
示すこともなく、説くこともないのです。
無示無說;[VK1201039]
施すことも惜しむこともされず、
不施不慳,[VK1201040]
戒を守ることも戒を犯すこともされず、
不戒不犯,[VK1201041]
忍ぶことも怒ることもされず、
不忍不恚,[VK1201042]
努めることも怠けることもされず、
不進不怠,[VK1201043]
安定することも乱れることもされず、
不定不亂,[VK1201044]
賢明でもなく、愚かでもなく、
不智不愚,[VK1201045]
真心でもなく、偽りでもなく、
不誠不欺,[VK1201046]
来ることも去ることもされず、
不來不去,[VK1201047]
出ることも入ることもされないのです。
不出不入,[VK1201048]
言葉で言い表すことができず、
一切言語道斷;[VK1201049]
福田でもなく、不福田でもなく、
非福田,非不福田,[VK1201050]
応供(供養を受けるにふさわしい者)でもなく、不応供でもなく、
非應供養,非不應供養;[VK1201051]
取ることでも捨てることでもなく、
非取非捨,[VK1201052]
有相でもなく、無相でもなく、
非有相,非無相;[VK1201053]
実相と同じであり、
同真際,[VK1201054]
法性(真如の性)に等しく、
等法性,[VK1201055]
測量することができず、
不可稱,不可量,[VK1201056]
測量の限度を超えられ、
過諸稱量;[VK1201057]
大きくもなく、小さくもなく、
非大非小,[VK1201058]
見聞覚知(六識の働き)でもなく、
非見非聞,非覺非知,[VK1201059]
すべての結縛(身心を束縛しているもの。煩悩)を離れられ、
離眾結縛;[VK1201060]
種々の智慧に等しく、
等諸智,[VK1201061]
衆生と異ならず、
同眾生,[VK1201062]
諸法の中で区別もなく、
於諸法無分別;[VK1201063]
あらゆる過ちもなく、
一切無失,[VK1201064]
汚染もなく、煩悩もなく、
無濁無惱,[VK1201065]
無作であり、無起であり、
無作無起,[VK1201066]
生滅もなく、
無生無滅;[VK1201067]
恐れることも憂うこともされず、
無畏無憂,[VK1201068]
喜ぶことも厭うことも執着もされず、
無喜無厭無著;[VK1201069]
過去もなく、未来もなく、現在もなく、
無已有,無當有,無今有;[VK1201070]
あらゆる言葉で区別したり、示したりすることができないのです。
不可以一切言說分別顯示:[VK1201071]
世尊様! 如来のお身はまさにこのようです。
世尊!如來身為若此,[VK1201072]
それらの観念を抱いて如来を見るべきです。
作如是觀,[VK1201073]
そのように見るのは正観(正しく見ること)と呼ばれます。
以斯觀者,名為正觀;[VK1201074]
他の観念を抱いて如来を見るのは、邪観(間違って見ること)と呼ばれます。」
若他觀者,名為邪觀。」[VK1201075]
【維摩経】見阿閦仏品
如来のお身
その時、お釈迦様は維摩詰に問いました。
爾時世尊問維摩詰:[VK1201001]
「如来を見る時、お前は何の観念を抱いているのか?」
「汝欲見如來,為以何等觀如來乎?」[VK1201002]
維摩詰は答えました。
維摩詰言:[VK1201003]
「身の実相(真如)を見るように如来を拝見するのです。
「如自觀身實相,觀佛亦然。[VK1201004]
私の理解したところによると、如来様は過去から来られるのではなく、
我觀如來前際不來,[VK1201005]
未来にも行かれず、
後際不去,[VK1201006]
現在にとどまられることもございません。
今則不住;[VK1201007]
私は、色(相)を観察せず、
不觀色,[VK1201008]
色の本質も観察せず、
不觀色如,[VK1201009]
色の性質も観察せず、
不觀色性,[VK1201010]
受・想・行・識も観察せず、
不觀受、想、行、識,[VK1201011]
識の本質も観察せず、
不觀識如,[VK1201012]
識の性質も観察しません。
不觀識性,[VK1201013]
(色・受・想・行・識を通じて観測できない)
如来様は、四大のお身ではなく、
非四大起,[VK1201014]
虚空に等しく、
同於虛空;[VK1201015]
六入を集積されず、
六入無積,[VK1201016]
六根の制限を超えられ、
眼、耳、鼻、舌、身、心已過;[VK1201017]
三界を離れられ、
不在三界,[VK1201018]
三毒を断ち切られ、
三垢已離,[VK1201019]
三解脱門に従われ、
順三脫門,[VK1201020]
三明を備えられ、
具足三明,[VK1201021]
無明と異ならないのです。
與無明等;[VK1201022]
一相でもなく、異相でもなく、
不一相、不異相,[VK1201023]
自相(独自の相)でもなく、他相(他の相)でもなく、
不自相、不他相,[VK1201024]
無相でもなく、取相(相を取ること)でもなく、
非無相、非取相;[VK1201025]
此岸(俗世間)におられず、彼岸にもおられず、
不此岸,不彼岸,[VK1201026]
此岸と彼岸の中間にもおられず、その状態で衆生を教化されます。
不中流而化眾生;[VK1201027]
寂滅の境地に至られても、涅槃に入られず、
觀於寂滅,亦不永滅;[VK1201028]
自分でもなく、他人でもなく、
不此不彼,[VK1201029]
これでもなく、それでもなく、
不以此,不以彼;[VK1201030]
智慧によって知ることができず、
不可以智知,[VK1201031]
六識によって認識することもできないのです。
不可以識識;[VK1201032]
闇もなく、輝きもなく、
無晦無明,[VK1201033]
名もなく、相もなく
無名無相,[VK1201034]
強さもなく、弱さもなく、
無強無弱,[VK1201035]
清浄でもなく、不浄でもなく、
非淨非穢;[VK1201036]
どの方向にもおられず、どの方向からも離れられず、
不在方,不離方,[VK1201037]
有為でもなく、無為でもなく
非有為,非無為,[VK1201038]
示すこともなく、説くこともないのです。
無示無說;[VK1201039]
施すことも惜しむこともされず、
不施不慳,[VK1201040]
戒を守ることも戒を犯すこともされず、
不戒不犯,[VK1201041]
忍ぶことも怒ることもされず、
不忍不恚,[VK1201042]
努めることも怠けることもされず、
不進不怠,[VK1201043]
安定することも乱れることもされず、
不定不亂,[VK1201044]
賢明でもなく、愚かでもなく、
不智不愚,[VK1201045]
真心でもなく、偽りでもなく、
不誠不欺,[VK1201046]
来ることも去ることもされず、
不來不去,[VK1201047]
出ることも入ることもされないのです。
不出不入,[VK1201048]
言葉で言い表すことができず、
一切言語道斷;[VK1201049]
福田でもなく、不福田でもなく、
非福田,非不福田,[VK1201050]
応供(供養を受けるにふさわしい者)でもなく、不応供でもなく、
非應供養,非不應供養;[VK1201051]
取ることでも捨てることでもなく、
非取非捨,[VK1201052]
有相でもなく、無相でもなく、
非有相,非無相;[VK1201053]
実相と同じであり、
同真際,[VK1201054]
法性(真如の性)に等しく、
等法性,[VK1201055]
測量することができず、
不可稱,不可量,[VK1201056]
測量の限度を超えられ、
過諸稱量;[VK1201057]
大きくもなく、小さくもなく、
非大非小,[VK1201058]
見聞覚知(六識の働き)でもなく、
非見非聞,非覺非知,[VK1201059]
すべての結縛(身心を束縛しているもの。煩悩)を離れられ、
離眾結縛;[VK1201060]
種々の智慧に等しく、
等諸智,[VK1201061]
衆生と異ならず、
同眾生,[VK1201062]
諸法の中で区別もなく、
於諸法無分別;[VK1201063]
あらゆる過ちもなく、
一切無失,[VK1201064]
汚染もなく、煩悩もなく、
無濁無惱,[VK1201065]
無作であり、無起であり、
無作無起,[VK1201066]
生滅もなく、
無生無滅;[VK1201067]
恐れることも憂うこともされず、
無畏無憂,[VK1201068]
喜ぶことも厭うことも執着もされず、
無喜無厭無著;[VK1201069]
過去もなく、未来もなく、現在もなく、
無已有,無當有,無今有;[VK1201070]
あらゆる言葉で区別したり、示したりすることができないのです。
不可以一切言說分別顯示:[VK1201071]
世尊様! 如来のお身はまさにこのようです。
世尊!如來身為若此,[VK1201072]
それらの観念を抱いて如来を見るべきです。
作如是觀,[VK1201073]
そのように見るのは正観(正しく見ること)と呼ばれます。
以斯觀者,名為正觀;[VK1201074]
他の観念を抱いて如来を見るのは、邪観(間違って見ること)と呼ばれます。」
若他觀者,名為邪觀。」[VK1201075]