迦葉
【維摩経】弟子品
マハーカーシヤパ尊者
(貧民だけに物乞いをする尊者。福徳を積む機会を貧民に与える)
そこで、お釈迦様はマハーカーシヤパ尊者(苦行第一)に言いました。
佛告大迦葉:[VK0303001]
「お前が維摩詰を見舞いに行ってきなさい。」
「汝行詣維摩詰問疾。」[VK0303002]
マハーカーシヤパはお釈迦様に語りました。
迦葉白佛言:[VK0303003]
「申し訳ございません。世尊様。私はその御方を見舞うことができかねます。なぜかというと、
「世尊!我不堪任詣彼問疾。所以者何?[VK0303004]
かつて、私は貧民街で貧民に食べ物を乞うていました。
憶念我昔,於貧里而行乞,[VK0303005]
その時、維摩詰様がお見えになり、私に話しかけられました。
時維摩詰來謂我言:[VK0303006]
『マハーカーシヤパさんよ! あのさぁ、
『唯,大迦葉![VK0303007]
お前は慈悲心を抱いているが、人を平等に取り扱うことができていない。
有慈悲心而不能普,[VK0303008]
金持ちを避けて、貧民だけを選んで食べ物を乞うているのだ。
捨豪富,從貧乞。[VK0303009]
マハーカーシヤパさんよ! 平等(無差別)の法に則るには、
迦葉!住平等法,[VK0303010]
道に沿って人に食べ物を乞うべきだ。
應次行乞食;[VK0303011]
涅槃の境地(食事の必要がない)に至るように食べ物を乞い、
為不食故,應行乞食;[VK0303012]
和合相(つまり身。地・水・火・風の結合)の束縛から解放される(涅槃に入る)ように揣食(乞うた飯や菜などで作るお握り。和合の意味が含まれている)を食べ、
為壞和合相故,應取揣食;[VK0303013]
生死輪廻を離れるように、食べ物を受け取るべきだ。
為不受故,應受彼食;[VK0303014]
誰もいないと想像して集落に入る。
以空聚想,入於聚落;[VK0303015]
目が見えぬかのように見る。
所見色與盲等,[VK0303016]
聞いた声をこだまとする。
所聞聲與響等,[VK0303017]
嗅いだ匂いを風とする。
所嗅香與風等,[VK0303018]
食べ物の味を区別せぬ。
所食味不分別,[VK0303019]
空の智慧を通じて皮膚で感じる。
受諸觸如智證,[VK0303020]
諸法は幻のように、自性(自分に本来備わっている独自の性質)も他性(他物の自性)も
知諸法如幻相;無自性,無他性;[VK0303021]
生滅もないと知るべきだ。
本自不然,今則無滅。[VK0303022]
マハーカーシヤパさんよ!
迦葉![VK0303023]
八邪(八正道に反する行為。邪見・邪思惟・邪語・邪業・邪命・邪精進・邪念・邪定)を捨てないままで八解脱(八種類の禅定)に入り、
若能不捨八邪、入八解脫,[VK0303024]
邪相を通じて正法に入り、
以邪相入正法;[VK0303025]
一人前の食べ物をすべての衆生に施し、及び諸如来様と聖賢(聖者と賢者)たちを供養する、
以一食施一切,供養諸佛,及眾賢聖,[VK0303026]
もしそれができれば、乞うた食べ物を食べなさい。
然後可食;[VK0303027]
そのように食べる人は、
如是食者,[VK0303028]
煩悩があるのではなく、煩悩を離れているのでもなく、
非有煩惱,非離煩惱;[VK0303029]
入定でもなく、出定でもなく、
非入定意,非起定意;[VK0303030]
世間にいるのでもなく、涅槃に入るのでもないのだ。
非住世間,非住涅槃。[VK0303031]
その布施から積んだ福徳は、
其有施者,[VK0303032]
大きな福徳も小さな福徳もない(福徳は空である)。
無大福,無小福;[VK0303033]
食べ物を施す人は、利益のためではなく、損失のためでもなく、
不為益,不為損,[VK0303034]
仏道に正しく入り、声聞の道に従わぬためなのだ。
是為正入佛道,不依聲聞。[VK0303035]
マハーカーシヤパさんよ、
迦葉![VK0303036]
もしそのように乞うた食べ物を食べれば、これこそ無駄に食べたのではないのだ。』
若如是食,為不空食人之施也。』[VK0303037]
世尊様! あの時、私は維摩詰様のご教示を拝聴して、
時我,世尊!聞說是語,[VK0303038]
それはいままで聴いたことがないと存じ、
得未曾有,[VK0303039]
すぐすべての菩薩に深い敬意を抱いたのです。
即於一切菩薩,深起敬心,[VK0303040]
また、こう存じました。
復作是念:[VK0303041]
『維摩詰様は在家の居士でいらっしゃいますが、
『斯有家名,[VK0303042]
そのような智慧と弁才を持っておいでです。
辯才智慧乃能如是![VK0303043]
そのご教示を拝聴して、誰が阿耨多羅三藐三菩提心を発しないというのでしょうか?』
其誰聞此不發阿耨多羅三藐三菩提心?』[VK0303044]
私は今後もう人々に声聞・辟支仏(仏の教えによらずに独力で真理を悟る者。小乗の派)の修行をお勧めいたしません。
我從是來,不復勸人以聲聞、辟支佛行。[VK0303045]
それゆえ、私はその御方を見舞うことができかねます。」
是故不任詣彼問疾。」[VK0303046]
【維摩経】弟子品
マハーカーシヤパ尊者
(貧民だけに物乞いをする尊者。福徳を積む機会を貧民に与える)
そこで、お釈迦様はマハーカーシヤパ尊者(苦行第一)に言いました。
佛告大迦葉:[VK0303001]
「お前が維摩詰を見舞いに行ってきなさい。」
「汝行詣維摩詰問疾。」[VK0303002]
マハーカーシヤパはお釈迦様に語りました。
迦葉白佛言:[VK0303003]
「申し訳ございません。世尊様。私はその御方を見舞うことができかねます。なぜかというと、
「世尊!我不堪任詣彼問疾。所以者何?[VK0303004]
かつて、私は貧民街で貧民に食べ物を乞うていました。
憶念我昔,於貧里而行乞,[VK0303005]
その時、維摩詰様がお見えになり、私に話しかけられました。
時維摩詰來謂我言:[VK0303006]
『マハーカーシヤパさんよ! あのさぁ、
『唯,大迦葉![VK0303007]
お前は慈悲心を抱いているが、人を平等に取り扱うことができていない。
有慈悲心而不能普,[VK0303008]
金持ちを避けて、貧民だけを選んで食べ物を乞うているのだ。
捨豪富,從貧乞。[VK0303009]
マハーカーシヤパさんよ! 平等(無差別)の法に則るには、
迦葉!住平等法,[VK0303010]
道に沿って人に食べ物を乞うべきだ。
應次行乞食;[VK0303011]
涅槃の境地(食事の必要がない)に至るように食べ物を乞い、
為不食故,應行乞食;[VK0303012]
和合相(つまり身。地・水・火・風の結合)の束縛から解放される(涅槃に入る)ように揣食(乞うた飯や菜などで作るお握り。和合の意味が含まれている)を食べ、
為壞和合相故,應取揣食;[VK0303013]
生死輪廻を離れるように、食べ物を受け取るべきだ。
為不受故,應受彼食;[VK0303014]
誰もいないと想像して集落に入る。
以空聚想,入於聚落;[VK0303015]
目が見えぬかのように見る。
所見色與盲等,[VK0303016]
聞いた声をこだまとする。
所聞聲與響等,[VK0303017]
嗅いだ匂いを風とする。
所嗅香與風等,[VK0303018]
食べ物の味を区別せぬ。
所食味不分別,[VK0303019]
空の智慧を通じて皮膚で感じる。
受諸觸如智證,[VK0303020]
諸法は幻のように、自性(自分に本来備わっている独自の性質)も他性(他物の自性)も
知諸法如幻相;無自性,無他性;[VK0303021]
生滅もないと知るべきだ。
本自不然,今則無滅。[VK0303022]
マハーカーシヤパさんよ!
迦葉![VK0303023]
八邪(八正道に反する行為。邪見・邪思惟・邪語・邪業・邪命・邪精進・邪念・邪定)を捨てないままで八解脱(八種類の禅定)に入り、
若能不捨八邪、入八解脫,[VK0303024]
邪相を通じて正法に入り、
以邪相入正法;[VK0303025]
一人前の食べ物をすべての衆生に施し、及び諸如来様と聖賢(聖者と賢者)たちを供養する、
以一食施一切,供養諸佛,及眾賢聖,[VK0303026]
もしそれができれば、乞うた食べ物を食べなさい。
然後可食;[VK0303027]
そのように食べる人は、
如是食者,[VK0303028]
煩悩があるのではなく、煩悩を離れているのでもなく、
非有煩惱,非離煩惱;[VK0303029]
入定でもなく、出定でもなく、
非入定意,非起定意;[VK0303030]
世間にいるのでもなく、涅槃に入るのでもないのだ。
非住世間,非住涅槃。[VK0303031]
その布施から積んだ福徳は、
其有施者,[VK0303032]
大きな福徳も小さな福徳もない(福徳は空である)。
無大福,無小福;[VK0303033]
食べ物を施す人は、利益のためではなく、損失のためでもなく、
不為益,不為損,[VK0303034]
仏道に正しく入り、声聞の道に従わぬためなのだ。
是為正入佛道,不依聲聞。[VK0303035]
マハーカーシヤパさんよ、
迦葉![VK0303036]
もしそのように乞うた食べ物を食べれば、これこそ無駄に食べたのではないのだ。』
若如是食,為不空食人之施也。』[VK0303037]
世尊様! あの時、私は維摩詰様のご教示を拝聴して、
時我,世尊!聞說是語,[VK0303038]
それはいままで聴いたことがないと存じ、
得未曾有,[VK0303039]
すぐすべての菩薩に深い敬意を抱いたのです。
即於一切菩薩,深起敬心,[VK0303040]
また、こう存じました。
復作是念:[VK0303041]
『維摩詰様は在家の居士でいらっしゃいますが、
『斯有家名,[VK0303042]
そのような智慧と弁才を持っておいでです。
辯才智慧乃能如是![VK0303043]
そのご教示を拝聴して、誰が阿耨多羅三藐三菩提心を発しないというのでしょうか?』
其誰聞此不發阿耨多羅三藐三菩提心?』[VK0303044]
私は今後もう人々に声聞・辟支仏(仏の教えによらずに独力で真理を悟る者。小乗の派)の修行をお勧めいたしません。
我從是來,不復勸人以聲聞、辟支佛行。[VK0303045]
それゆえ、私はその御方を見舞うことができかねます。」
是故不任詣彼問疾。」[VK0303046]