舎利弗
【維摩経】弟子品
お釈迦様の十大弟子
(智慧第一)シャーリプトラ
舎利弗
(神通第一)マハーマウドガリヤーヤナ
大目犍連
(苦行第一)マハーカーシヤパ
大迦葉
(解空第一)スブーティ
須菩提
(説法第一)プールナ・マイトラーヤニープトラ
富樓那彌多羅尼子
(論議第一)マハーカーティヤーヤナ
摩訶迦旃延
(天眼第一)アニルッダ
阿那律
(持律第一)ウパーリ
優波離
(密行第一)ラーフラ
羅睺羅
(多聞第一)アーナンダ
阿難
シャーリプトラ尊者
その時、維摩詰長者はこう思いました。
爾時長者維摩詰,自念:[VK0301001]
「私は病気で床についているが、
「寢疾于床,[VK0301002]
世尊様は慈悲深いのに、もしかして私に同情していただけないのでしょうか?」
世尊大慈,寧不垂愍?」[VK0301003]
お釈迦様は維摩詰の思いを知り(他心通によって心の声が聞こえました)、シャーリプトラ尊者(智慧第一)に言いました。
佛知其意,即告舍利弗:[VK0301004]
「維摩詰が病気になった。お前が見舞いに行ってきなさい。」
「汝行詣維摩詰問疾。」[VK0301005]
シャーリプトラはお釈迦様に語りました。
舍利弗白佛言:[VK0301006]
「申し訳ございません。世尊様。私はその御方を見舞うことができかねます。なぜかというと、
「世尊!我不堪任詣彼問疾。所以者何?[VK0301007]
かつて、私は林の樹下で座禅をしていました。
憶念我昔,曾於林中宴坐樹下,[VK0301008]
その時、維摩詰様がお見えになり、私に話しかけられました。
時維摩詰來謂我言:[VK0301009]
『ちょっと! シャーリプトラさんよ!
『唯,舍利弗![VK0301010]
座禅はこのように座っている必要がないのだ。
不必是坐,為宴坐也。[VK0301011]
座禅とは、
夫宴坐者,[VK0301012]
三界にいるが、常に身・心を離れている(空の境地に入る)。これが座禅だ。
不於三界現身意,是為宴坐;[VK0301013]
入定(禅定に入ること)も出定(禅定の境地から平常の状態に戻ること)もせず(いつでも禅定の境地に入る)、自然のまま諸威儀(立ち居振る舞いに威厳を示す作法)を表している。これが座禅だ。
不起滅定而現諸威儀,是為宴坐;[VK0301014]
俗事をするが、常に道心(仏道に向かって進む心)を抱いている。これが座禅だ。
不捨道法而現凡夫事,是為宴坐;[VK0301015]
心(注意力)は身に向かっておらず、外界も追っておらぬ(無心になる)。これが座禅だ。
心不住內亦不在外,是為宴坐;[VK0301016]
どんな状況でも心が動かず、さらに三十七道品を修める。これが座禅だ。
於諸見不動,而修行三十七品,是為宴坐;[VK0301017]
煩悩を断ち切らないままで涅槃に入る(煩悩に影響されない)。これが座禅だ。
不斷煩惱而入涅槃,是為宴坐。[VK0301018]
そのようにすれば、これは如来が認めた座禅なのだ。』
若能如是坐者,佛所印可。』[VK0301019]
世尊様! あの時、私は維摩詰様のご教示を拝聴して、黙り込み、返答に窮しました!
時我,世尊!聞說是語,默然而止,不能加報![VK0301020]
それゆえ、私はその御方を見舞うことができかねます。」
故我不任詣彼問疾。」[VK0301021]
【維摩経】弟子品
お釈迦様の十大弟子
(智慧第一)シャーリプトラ
舎利弗
(神通第一)マハーマウドガリヤーヤナ
大目犍連
(苦行第一)マハーカーシヤパ
大迦葉
(解空第一)スブーティ
須菩提
(説法第一)プールナ・マイトラーヤニープトラ
富樓那彌多羅尼子
(論議第一)マハーカーティヤーヤナ
摩訶迦旃延
(天眼第一)アニルッダ
阿那律
(持律第一)ウパーリ
優波離
(密行第一)ラーフラ
羅睺羅
(多聞第一)アーナンダ
阿難
シャーリプトラ尊者
その時、維摩詰長者はこう思いました。
爾時長者維摩詰,自念:[VK0301001]
「私は病気で床についているが、
「寢疾于床,[VK0301002]
世尊様は慈悲深いのに、もしかして私に同情していただけないのでしょうか?」
世尊大慈,寧不垂愍?」[VK0301003]
お釈迦様は維摩詰の思いを知り(他心通によって心の声が聞こえました)、シャーリプトラ尊者(智慧第一)に言いました。
佛知其意,即告舍利弗:[VK0301004]
「維摩詰が病気になった。お前が見舞いに行ってきなさい。」
「汝行詣維摩詰問疾。」[VK0301005]
シャーリプトラはお釈迦様に語りました。
舍利弗白佛言:[VK0301006]
「申し訳ございません。世尊様。私はその御方を見舞うことができかねます。なぜかというと、
「世尊!我不堪任詣彼問疾。所以者何?[VK0301007]
かつて、私は林の樹下で座禅をしていました。
憶念我昔,曾於林中宴坐樹下,[VK0301008]
その時、維摩詰様がお見えになり、私に話しかけられました。
時維摩詰來謂我言:[VK0301009]
『ちょっと! シャーリプトラさんよ!
『唯,舍利弗![VK0301010]
座禅はこのように座っている必要がないのだ。
不必是坐,為宴坐也。[VK0301011]
座禅とは、
夫宴坐者,[VK0301012]
三界にいるが、常に身・心を離れている(空の境地に入る)。これが座禅だ。
不於三界現身意,是為宴坐;[VK0301013]
入定(禅定に入ること)も出定(禅定の境地から平常の状態に戻ること)もせず(いつでも禅定の境地に入る)、自然のまま諸威儀(立ち居振る舞いに威厳を示す作法)を表している。これが座禅だ。
不起滅定而現諸威儀,是為宴坐;[VK0301014]
俗事をするが、常に道心(仏道に向かって進む心)を抱いている。これが座禅だ。
不捨道法而現凡夫事,是為宴坐;[VK0301015]
心(注意力)は身に向かっておらず、外界も追っておらぬ(無心になる)。これが座禅だ。
心不住內亦不在外,是為宴坐;[VK0301016]
どんな状況でも心が動かず、さらに三十七道品を修める。これが座禅だ。
於諸見不動,而修行三十七品,是為宴坐;[VK0301017]
煩悩を断ち切らないままで涅槃に入る(煩悩に影響されない)。これが座禅だ。
不斷煩惱而入涅槃,是為宴坐。[VK0301018]
そのようにすれば、これは如来が認めた座禅なのだ。』
若能如是坐者,佛所印可。』[VK0301019]
世尊様! あの時、私は維摩詰様のご教示を拝聴して、黙り込み、返答に窮しました!
時我,世尊!聞說是語,默然而止,不能加報![VK0301020]
それゆえ、私はその御方を見舞うことができかねます。」
故我不任詣彼問疾。」[VK0301021]