四無量心
【維摩経】観衆生品
衆生と四無量心
それから、文殊菩薩は維摩詰に問いました。
爾時文殊師利問維摩詰言:[VK0701001]
「菩薩はどんな観念を抱いて衆生を見るべきでしょうか?」
「菩薩云何觀於眾生?」[VK0701002]
維摩詰は答えました。
維摩詰言:[VK0701003]
「例えば、幻術師が幻の人を見るように、菩薩はこのような観念を抱いて衆生を見るべきだ。
「譬如幻師,見所幻人,菩薩觀眾生為若此。[VK0701004]
賢者が水面に映った月影を見るように、
如智者見水中月,[VK0701005]
あるいは鏡に映った姿を見るように衆生を見るべきだ。
如鏡中見其面像,[VK0701006]
また、衆生を、陽炎・
如熱時焰,[VK0701007]
こだま・
如呼聲響,[VK0701008]
空の雲・
如空中雲,[VK0701009]
水しぶき・
如水聚沫,[VK0701010]
水上の泡・
如水上泡,[VK0701011]
(不存在の物)
固い芭蕉の茎(中空的な内部)・
如芭蕉堅,[VK0701012]
久しくとどまっている稲妻・
如電久住,[VK0701013]
四大元素外の第五元素・
如第五大,[VK0701014]
五陰外の第六陰・
如第六陰,[VK0701015]
六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)外の第七根・
如第七情,[VK0701016]
十二入(六根と六塵)外の第十三入・
如十三入,[VK0701017]
十八界(十二入と六識)外の第十九界などのように見なすべきだ。
如十九界,菩薩觀眾生為若此。[VK0701018]
(不可能なこと)
また、無色界(物質のない世界)には物があること・
如無色界色,[VK0701019]
焦げた種子は発芽すること・
如焦穀牙,[VK0701020]
須陀洹(見惑を断ち切った聖者)はまだ身見が残っていること・
如須陀洹身見,[VK0701021]
阿那含(もう二度と欲界に生まれない聖者)はもう一度輪廻に入ること・
如阿那含入胎,[VK0701022]
阿羅漢(見惑・思惑を断ち切った聖者)はまだ三毒(貪欲・瞋恚・愚昧)が残っていること・
如阿羅漢三毒,[VK0701023]
無生法忍の境地に至った菩薩はまた貪欲・瞋恚・破戒をすること・
如得忍菩薩貪恚毀禁,[VK0701024]
如来様は煩悩や悪い習性がまだ残っていること・
如佛煩惱習,[VK0701025]
盲人は目が見えること・
如盲者見色,[VK0701026]
滅尽定(感覚・意識の働きがすっかりとまってしまった禅定。ただ皮膚で呼吸をする)に入ってもまだ息があること・
如入滅盡定出入息,[VK0701027]
空には鳥の飛行の痕跡が残っていること・
如空中鳥跡,[VK0701028]
女性の石像は子供を生むこと・
如石女兒,[VK0701029]
幻の人は煩悩があること・
如化人起煩惱,[VK0701030]
夢中で自分が眠りから覚めるのが見えること・
如夢所見已寤,[VK0701031]
涅槃に入った者がまた転生すること・
如滅度者受身,[VK0701032]
火に煙がないこと、
如無烟之火,[VK0701033]
菩薩は衆生をこれらのようにを見なすべきだ。」
菩薩觀眾生為若此。」[VK0701034]
(慈・悲・喜・捨)
文殊菩薩は言いました。
文殊師利言:[VK0701035]
「もし菩薩がそれらの観念を抱いて衆生を見れば、
「若菩薩作是觀者,[VK0701036]
どのように慈(慈しむこと)を行うのですか?」
云何行慈?」[VK0701037]
維摩詰は答えました。
維摩詰言:[VK0701038]
「菩薩はそれらの観念を抱いて、そして、
「菩薩作是觀已,[VK0701039]
『私はそれらの観念を衆生に説こう』と思う。これは真実の慈なのだ。
自念:『我當為眾生說如斯法。』是即真實慈也。[VK0701040]
また、衆生に寂滅の慈を行う、すべては無生だからだ。
行寂滅慈,無所生故;[VK0701041]
不熱(苦悩がないこと)の慈を行う、煩悩がないからだ。
行不熱慈,無煩惱故;[VK0701042]
平等の慈を行う、三世は平等だからだ。
行等之慈,等三世故;[VK0701043]
無争(争いがないこと)の慈を行う、起こっていないからだ。
行無諍慈,無所起故;[VK0701044]
不二の慈を行う、内外の区別がないからだ。
行不二慈,內外不合故;[VK0701045]
不壊(壊れないこと)の慈を行う、すべてが最終的になくなるからだ。
行不壞慈,畢竟盡故;[VK0701046]
堅固の慈を行う、心は壊滅することはないからだ。
行堅固慈,心無毀故;[VK0701047]
清浄の慈を行う、諸法の本質は清浄であるからだ。
行清淨慈,諸法性淨故;[VK0701048]
無辺の慈を行う、慈悲は虚空のようであるからだ。
行無邊慈,如虛空故;[VK0701049]
阿羅漢の慈を行う、六賊(六根の例え)を破ったからだ。
行阿羅漢慈,破結賊故;[VK0701050]
菩薩の慈を行う、衆生に安楽を与えるからだ。
行菩薩慈,安眾生故;[VK0701051]
如来の慈を行う、実相を悟ったからだ。
行如來慈,得如相故;[VK0701052]
仏の慈を行う、衆生を悟りの境地に至らせるからだ。
行佛之慈,覺眾生故;[VK0701053]
自然の慈を行う、得失することがないからだ。
行自然慈,無因得故;[VK0701054]
菩提の慈を行う、平等一味(すべては平等である境地)の境地に至ったからだ。
行菩提慈,等一味故;[VK0701055]
無等(等しいものがない。最高の意味)の慈を行う、さまざまな愛着を断ち切ったからだ。
行無等慈,斷諸愛故;[VK0701056]
大悲の慈を行う、衆生を大乗に導くからだ。
行大悲慈,導以大乘故;[VK0701057]
無厭(うんざりしないこと)の慈を行う、空・無我の理を悟ったからだ。
行無厭慈,觀空無我故;[VK0701058]
(六波羅蜜:布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)
法施の慈を行う、仏法を惜しまぬからだ。
行法施慈,無遺惜故;[VK0701059]
持戒の慈を行う、戒を犯した衆生を教化するからだ。
行持戒慈,化毀禁故;[VK0701060]
忍辱の慈を行う、自分と他人を守護するからだ。
行忍辱慈,護彼我故;[VK0701061]
精進の慈を行う、衆生を済度するからだ。
行精進慈,荷負眾生故;[VK0701062]
禅定の慈を行う、欲望にとらわれないからだ。
行禪定慈,不受味故;[VK0701063]
智慧の慈を行う、非時をしないからだ。
行智慧慈,無不知時故;[VK0701064]
方便の慈を行う、どこにでも姿を現して衆生を済度するからだ。
行方便慈,一切示現故;[VK0701065]
無隠(隠すことがないこと)の慈を行う、心は素直で清浄であるからだ。
行無隱慈,直心清淨故;[VK0701066]
深心の慈を行う、雑用に追われないからだ。
行深心慈,無雜行故;[VK0701067]
無誑(騙すことがないこと)の慈を行う、偽りがないからだ。
行無誑慈,不虛假故;[VK0701068]
安楽の慈を行う、衆生を解脱の境地に至らせるからだ。
行安樂慈,令得佛樂故。[VK0701069]
菩薩はまさにそのように慈を行うのだ。」
菩薩之慈,為若此也。」[VK0701070]
文殊菩薩はまた維摩詰に問いました。
文殊師利又問:[VK0701071]
「では、どのように悲(哀れむこと)を行うのですか?」
「何謂為悲?」[VK0701072]
維摩詰:
答曰:[VK0701073]
「菩薩は自分が積んだ功徳を衆生に施す。」
「菩薩所作功德,皆與一切眾生共之。」[VK0701074]
文殊菩薩:
「では、どのように喜(喜ぶこと)を行うのですか?」
「何謂為喜?」[VK0701075]
維摩詰:
答曰:[VK0701076]
「衆生を益すれば、うれしくてしかも後悔せぬ。」
「有所饒益,歡喜無悔。」[VK0701077]
文殊菩薩:
「では、どのように捨(捨てること)を行うのですか?」
「何謂為捨?」[VK0701078]
維摩詰:
答曰:[VK0701079]
「善を行うが、善の報いを期待せぬ。」
「所作福祐,無所悕望。」[VK0701080]
文殊菩薩:
文殊師利又問:[VK0701081]
「生死が怖いが、菩薩は何に頼るべきですか?」
「生死有畏,菩薩當何所依?」[VK0701082]
維摩詰:
維摩詰言:[VK0701083]
「菩薩は生死の恐怖の中でまさに如来様の功徳の力に頼るべきだ。」
「菩薩於生死畏中,當依如來功德之力。」[VK0701084]
文殊菩薩:
文殊師利又問:[VK0701085]
「菩薩が如来様の功徳の力に頼みたいなら、何をすればよいのでしょうか?」
「菩薩欲依如來功德之力,當於何住?」[VK0701086]
維摩詰:
答曰:[VK0701087]
「菩薩が如来様の功徳の力に頼りたいなら、すべての衆生を解脱の境地に導こう。」
「菩薩欲依如來功德力者,當住度脫一切眾生。」[VK0701088]
文殊菩薩:
又問:[VK0701089]
「衆生を解脱の境地に導きたいなら、何を除くべきですか?」
「欲度眾生,當何所除?」[VK0701090]
維摩詰:
答曰:[VK0701091]
「衆生を導きたいなら、衆生の煩悩を除くべきだ。」
「欲度眾生,除其煩惱。」[VK0701092]
文殊菩薩:
又問:[VK0701093]
「衆生の煩悩を除きたいなら、何を行うべきですか?」
「欲除煩惱,當何所行?」[VK0701094]
維摩詰:
答曰:[VK0701095]
「正念を行う(実行する)べきだ。」
「當行正念。」[VK0701096]
文殊菩薩:
又問:[VK0701097]
「どのように正念を行うのですか?」
「云何行於正念?」[VK0701098]
維摩詰:
答曰:[VK0701099]
「不生不滅を行うべきだ。」
「當行不生不滅。」[VK0701100]
文殊菩薩:
又問:[VK0701101]
「何を生じないのですか? 何を滅しないのですか?」
「何法不生?何法不滅?」[VK0701102]
維摩詰:
答曰:[VK0701103]
「不善(悪)を生じず、善を滅しないのだ。」
「不善不生,善法不滅。」[VK0701104]
文殊菩薩:
又問:[VK0701105]
「善と不善の根源は何ですか?」
「善、不善孰為本?」[VK0701106]
維摩詰:
答曰:[VK0701107]
「身が善と不善の根源なのだ。」
「身為本。」[VK0701108]
文殊菩薩:
又問:[VK0701109]
「身の根源は何ですか?」
「身孰為本?」[VK0701110]
維摩詰:
答曰:[VK0701111]
「貪欲が身の根源なのだ」
「欲貪為本。」[VK0701112]
文殊菩薩:
又問:[VK0701113]
「貪欲の根源は何ですか?」
「欲貪孰為本?」[VK0701114]
維摩詰:
答曰:[VK0701115]
「妄想と区別が貪欲の根源なのだ。」
「虛妄分別為本。」[VK0701116]
文殊菩薩:
又問:[VK0701117]
「では、妄想と区別の根源は何ですか?」
「虛妄分別孰為本?」[VK0701118]
維摩詰:
答曰:[VK0701119]
「転倒の観念が妄想と区別の根源なのだ。」
「顛倒想為本。」[VK0701120]
文殊菩薩:
又問:[VK0701121]
「転倒の観念の根源は何ですか?」
「顛倒想孰為本?」[VK0701122]
維摩詰:
答曰:[VK0701123]
「無住(とどまることがないこと。すべては生滅して変化している)が転倒の観念の根源なのだ。」
「無住為本。」[VK0701124]
文殊菩薩:
又問:[VK0701125]
「では、無住の根源は何ですか?」
「無住孰為本?」[VK0701126]
維摩詰:
答曰:[VK0701127]
「無住は根源がないのだ。
「無住則無本。[VK0701128]
文殊菩薩よ! あらゆる物事は無住に起因するのだ。」
文殊師利!從無住本,立一切法。」[VK0701129]
【維摩経】観衆生品
衆生と四無量心
それから、文殊菩薩は維摩詰に問いました。
爾時文殊師利問維摩詰言:[VK0701001]
「菩薩はどんな観念を抱いて衆生を見るべきでしょうか?」
「菩薩云何觀於眾生?」[VK0701002]
維摩詰は答えました。
維摩詰言:[VK0701003]
「例えば、幻術師が幻の人を見るように、菩薩はこのような観念を抱いて衆生を見るべきだ。
「譬如幻師,見所幻人,菩薩觀眾生為若此。[VK0701004]
賢者が水面に映った月影を見るように、
如智者見水中月,[VK0701005]
あるいは鏡に映った姿を見るように衆生を見るべきだ。
如鏡中見其面像,[VK0701006]
また、衆生を、陽炎・
如熱時焰,[VK0701007]
こだま・
如呼聲響,[VK0701008]
空の雲・
如空中雲,[VK0701009]
水しぶき・
如水聚沫,[VK0701010]
水上の泡・
如水上泡,[VK0701011]
(不存在の物)
固い芭蕉の茎(中空的な内部)・
如芭蕉堅,[VK0701012]
久しくとどまっている稲妻・
如電久住,[VK0701013]
四大元素外の第五元素・
如第五大,[VK0701014]
五陰外の第六陰・
如第六陰,[VK0701015]
六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)外の第七根・
如第七情,[VK0701016]
十二入(六根と六塵)外の第十三入・
如十三入,[VK0701017]
十八界(十二入と六識)外の第十九界などのように見なすべきだ。
如十九界,菩薩觀眾生為若此。[VK0701018]
(不可能なこと)
また、無色界(物質のない世界)には物があること・
如無色界色,[VK0701019]
焦げた種子は発芽すること・
如焦穀牙,[VK0701020]
須陀洹(見惑を断ち切った聖者)はまだ身見が残っていること・
如須陀洹身見,[VK0701021]
阿那含(もう二度と欲界に生まれない聖者)はもう一度輪廻に入ること・
如阿那含入胎,[VK0701022]
阿羅漢(見惑・思惑を断ち切った聖者)はまだ三毒(貪欲・瞋恚・愚昧)が残っていること・
如阿羅漢三毒,[VK0701023]
無生法忍の境地に至った菩薩はまた貪欲・瞋恚・破戒をすること・
如得忍菩薩貪恚毀禁,[VK0701024]
如来様は煩悩や悪い習性がまだ残っていること・
如佛煩惱習,[VK0701025]
盲人は目が見えること・
如盲者見色,[VK0701026]
滅尽定(感覚・意識の働きがすっかりとまってしまった禅定。ただ皮膚で呼吸をする)に入ってもまだ息があること・
如入滅盡定出入息,[VK0701027]
空には鳥の飛行の痕跡が残っていること・
如空中鳥跡,[VK0701028]
女性の石像は子供を生むこと・
如石女兒,[VK0701029]
幻の人は煩悩があること・
如化人起煩惱,[VK0701030]
夢中で自分が眠りから覚めるのが見えること・
如夢所見已寤,[VK0701031]
涅槃に入った者がまた転生すること・
如滅度者受身,[VK0701032]
火に煙がないこと、
如無烟之火,[VK0701033]
菩薩は衆生をこれらのようにを見なすべきだ。」
菩薩觀眾生為若此。」[VK0701034]
(慈・悲・喜・捨)
文殊菩薩は言いました。
文殊師利言:[VK0701035]
「もし菩薩がそれらの観念を抱いて衆生を見れば、
「若菩薩作是觀者,[VK0701036]
どのように慈(慈しむこと)を行うのですか?」
云何行慈?」[VK0701037]
維摩詰は答えました。
維摩詰言:[VK0701038]
「菩薩はそれらの観念を抱いて、そして、
「菩薩作是觀已,[VK0701039]
『私はそれらの観念を衆生に説こう』と思う。これは真実の慈なのだ。
自念:『我當為眾生說如斯法。』是即真實慈也。[VK0701040]
また、衆生に寂滅の慈を行う、すべては無生だからだ。
行寂滅慈,無所生故;[VK0701041]
不熱(苦悩がないこと)の慈を行う、煩悩がないからだ。
行不熱慈,無煩惱故;[VK0701042]
平等の慈を行う、三世は平等だからだ。
行等之慈,等三世故;[VK0701043]
無争(争いがないこと)の慈を行う、起こっていないからだ。
行無諍慈,無所起故;[VK0701044]
不二の慈を行う、内外の区別がないからだ。
行不二慈,內外不合故;[VK0701045]
不壊(壊れないこと)の慈を行う、すべてが最終的になくなるからだ。
行不壞慈,畢竟盡故;[VK0701046]
堅固の慈を行う、心は壊滅することはないからだ。
行堅固慈,心無毀故;[VK0701047]
清浄の慈を行う、諸法の本質は清浄であるからだ。
行清淨慈,諸法性淨故;[VK0701048]
無辺の慈を行う、慈悲は虚空のようであるからだ。
行無邊慈,如虛空故;[VK0701049]
阿羅漢の慈を行う、六賊(六根の例え)を破ったからだ。
行阿羅漢慈,破結賊故;[VK0701050]
菩薩の慈を行う、衆生に安楽を与えるからだ。
行菩薩慈,安眾生故;[VK0701051]
如来の慈を行う、実相を悟ったからだ。
行如來慈,得如相故;[VK0701052]
仏の慈を行う、衆生を悟りの境地に至らせるからだ。
行佛之慈,覺眾生故;[VK0701053]
自然の慈を行う、得失することがないからだ。
行自然慈,無因得故;[VK0701054]
菩提の慈を行う、平等一味(すべては平等である境地)の境地に至ったからだ。
行菩提慈,等一味故;[VK0701055]
無等(等しいものがない。最高の意味)の慈を行う、さまざまな愛着を断ち切ったからだ。
行無等慈,斷諸愛故;[VK0701056]
大悲の慈を行う、衆生を大乗に導くからだ。
行大悲慈,導以大乘故;[VK0701057]
無厭(うんざりしないこと)の慈を行う、空・無我の理を悟ったからだ。
行無厭慈,觀空無我故;[VK0701058]
(六波羅蜜:布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)
法施の慈を行う、仏法を惜しまぬからだ。
行法施慈,無遺惜故;[VK0701059]
持戒の慈を行う、戒を犯した衆生を教化するからだ。
行持戒慈,化毀禁故;[VK0701060]
忍辱の慈を行う、自分と他人を守護するからだ。
行忍辱慈,護彼我故;[VK0701061]
精進の慈を行う、衆生を済度するからだ。
行精進慈,荷負眾生故;[VK0701062]
禅定の慈を行う、欲望にとらわれないからだ。
行禪定慈,不受味故;[VK0701063]
智慧の慈を行う、非時をしないからだ。
行智慧慈,無不知時故;[VK0701064]
方便の慈を行う、どこにでも姿を現して衆生を済度するからだ。
行方便慈,一切示現故;[VK0701065]
無隠(隠すことがないこと)の慈を行う、心は素直で清浄であるからだ。
行無隱慈,直心清淨故;[VK0701066]
深心の慈を行う、雑用に追われないからだ。
行深心慈,無雜行故;[VK0701067]
無誑(騙すことがないこと)の慈を行う、偽りがないからだ。
行無誑慈,不虛假故;[VK0701068]
安楽の慈を行う、衆生を解脱の境地に至らせるからだ。
行安樂慈,令得佛樂故。[VK0701069]
菩薩はまさにそのように慈を行うのだ。」
菩薩之慈,為若此也。」[VK0701070]
文殊菩薩はまた維摩詰に問いました。
文殊師利又問:[VK0701071]
「では、どのように悲(哀れむこと)を行うのですか?」
「何謂為悲?」[VK0701072]
維摩詰:
答曰:[VK0701073]
「菩薩は自分が積んだ功徳を衆生に施す。」
「菩薩所作功德,皆與一切眾生共之。」[VK0701074]
文殊菩薩:
「では、どのように喜(喜ぶこと)を行うのですか?」
「何謂為喜?」[VK0701075]
維摩詰:
答曰:[VK0701076]
「衆生を益すれば、うれしくてしかも後悔せぬ。」
「有所饒益,歡喜無悔。」[VK0701077]
文殊菩薩:
「では、どのように捨(捨てること)を行うのですか?」
「何謂為捨?」[VK0701078]
維摩詰:
答曰:[VK0701079]
「善を行うが、善の報いを期待せぬ。」
「所作福祐,無所悕望。」[VK0701080]
文殊菩薩:
文殊師利又問:[VK0701081]
「生死が怖いが、菩薩は何に頼るべきですか?」
「生死有畏,菩薩當何所依?」[VK0701082]
維摩詰:
維摩詰言:[VK0701083]
「菩薩は生死の恐怖の中でまさに如来様の功徳の力に頼るべきだ。」
「菩薩於生死畏中,當依如來功德之力。」[VK0701084]
文殊菩薩:
文殊師利又問:[VK0701085]
「菩薩が如来様の功徳の力に頼みたいなら、何をすればよいのでしょうか?」
「菩薩欲依如來功德之力,當於何住?」[VK0701086]
維摩詰:
答曰:[VK0701087]
「菩薩が如来様の功徳の力に頼りたいなら、すべての衆生を解脱の境地に導こう。」
「菩薩欲依如來功德力者,當住度脫一切眾生。」[VK0701088]
文殊菩薩:
又問:[VK0701089]
「衆生を解脱の境地に導きたいなら、何を除くべきですか?」
「欲度眾生,當何所除?」[VK0701090]
維摩詰:
答曰:[VK0701091]
「衆生を導きたいなら、衆生の煩悩を除くべきだ。」
「欲度眾生,除其煩惱。」[VK0701092]
文殊菩薩:
又問:[VK0701093]
「衆生の煩悩を除きたいなら、何を行うべきですか?」
「欲除煩惱,當何所行?」[VK0701094]
維摩詰:
答曰:[VK0701095]
「正念を行う(実行する)べきだ。」
「當行正念。」[VK0701096]
文殊菩薩:
又問:[VK0701097]
「どのように正念を行うのですか?」
「云何行於正念?」[VK0701098]
維摩詰:
答曰:[VK0701099]
「不生不滅を行うべきだ。」
「當行不生不滅。」[VK0701100]
文殊菩薩:
又問:[VK0701101]
「何を生じないのですか? 何を滅しないのですか?」
「何法不生?何法不滅?」[VK0701102]
維摩詰:
答曰:[VK0701103]
「不善(悪)を生じず、善を滅しないのだ。」
「不善不生,善法不滅。」[VK0701104]
文殊菩薩:
又問:[VK0701105]
「善と不善の根源は何ですか?」
「善、不善孰為本?」[VK0701106]
維摩詰:
答曰:[VK0701107]
「身が善と不善の根源なのだ。」
「身為本。」[VK0701108]
文殊菩薩:
又問:[VK0701109]
「身の根源は何ですか?」
「身孰為本?」[VK0701110]
維摩詰:
答曰:[VK0701111]
「貪欲が身の根源なのだ」
「欲貪為本。」[VK0701112]
文殊菩薩:
又問:[VK0701113]
「貪欲の根源は何ですか?」
「欲貪孰為本?」[VK0701114]
維摩詰:
答曰:[VK0701115]
「妄想と区別が貪欲の根源なのだ。」
「虛妄分別為本。」[VK0701116]
文殊菩薩:
又問:[VK0701117]
「では、妄想と区別の根源は何ですか?」
「虛妄分別孰為本?」[VK0701118]
維摩詰:
答曰:[VK0701119]
「転倒の観念が妄想と区別の根源なのだ。」
「顛倒想為本。」[VK0701120]
文殊菩薩:
又問:[VK0701121]
「転倒の観念の根源は何ですか?」
「顛倒想孰為本?」[VK0701122]
維摩詰:
答曰:[VK0701123]
「無住(とどまることがないこと。すべては生滅して変化している)が転倒の観念の根源なのだ。」
「無住為本。」[VK0701124]
文殊菩薩:
又問:[VK0701125]
「では、無住の根源は何ですか?」
「無住孰為本?」[VK0701126]
維摩詰:
答曰:[VK0701127]
「無住は根源がないのだ。
「無住則無本。[VK0701128]
文殊菩薩よ! あらゆる物事は無住に起因するのだ。」
文殊師利!從無住本,立一切法。」[VK0701129]