光厳童子
【維摩経】菩薩品
光厳童子
そこで、お釈迦様は光厳童子に言いました。
佛告光嚴童子:[VK0402001]
「お前が維摩詰を見舞いに行ってきなさい。」
「汝行詣維摩詰問疾。」[VK0402002]
光厳はお釈迦様に言いました。
光嚴白佛言:[VK0402003]
「申し訳ございません。世尊様。私はその御方を見舞うことができかねます。なぜかというと、
「世尊!我不堪任詣彼問疾。所以者何?[VK0402004]
かつて、私がヴァイシャーリー大都市を出る時、維摩詰様がちょうど大都市に入っておいででした。
憶念我昔出毘耶離大城,時維摩詰方入城,[VK0402005]
私は維摩詰様にお礼をして伺いました。
我即為作禮而問言:[VK0402006]
『居士様はどちらからいらっしゃったのですか?』
『居士從何所來?』[VK0402007]
維摩詰様は私にお答えになりました。
答我言:[VK0402008]
『私は道場(仏道修行の場所)から来たのだ。』
『吾從道場來。』[VK0402009]
私は維摩詰様に伺いました。
我問:[VK0402010]
『えーと、その道場はどちらですか?』
『道場者何所是?』[VK0402011]
維摩詰様は私にお答えになりました。
答曰:[VK0402012]
『直心は道場である、偽りがないからだ。
『直心是道場,無虛假故;[VK0402013]
発行(修行を始めること)は道場である、修行の道に進むからだ。
發行是道場,能辦事故;[VK0402014]
深心は道場である、功徳が成長しているからだ。
深心是道場,增益功德故;[VK0402015]
菩提心は道場である、その心が間違いないからだ。
菩提心是道場,無錯謬故;[VK0402016]
布施は道場である、恩返しを期待しないからだ。
布施是道場,不望報故;[VK0402017]
持戒は道場である、誓願がかなうからだ。
持戒是道場,得願具故;[VK0402018]
忍辱は道場である、衆生に悩まないからだ。
忍辱是道場,於諸眾生心無礙故;[VK0402019]
精進は道場である、怠けたり、退転したりしないからだ。
精進是道場,不懈退故;[VK0402020]
禅定は道場である、心を柔らかにするからだ。
禪定是道場,心調柔故;[VK0402021]
智慧は道場である、諸法の本質を洞察できるからだ。
智慧是道場,現見諸法故;[VK0402022]
慈(慈じしむこと)は道場である、衆生を平等に取り扱うからだ。
慈是道場,等眾生故;[VK0402023]
悲(哀れむこと)は道場である、苦労に耐えるからだ(衆生を済度する)。
悲是道場,忍疲苦故;[VK0402024]
喜(喜ぶこと)は道場である、法喜に浸っているからだ。
喜是道場,悅樂法故;[VK0402025]
捨(捨てること)は道場である、愛憎を断ち切るからだ。
捨是道場,憎愛斷故;[VK0402026]
神通は道場である、六神通を成就するからだ。
神通是道場,成就六通故;[VK0402027]
解脱は道場である、八背捨(八解脱)ができるからだ。
解脫是道場,能背捨故;[VK0402028]
方便は道場である、衆生を教化するからだ。
方便是道場,教化眾生故;[VK0402029]
四摂法は道場である、衆生を感化するからだ。
四攝是道場,攝眾生故;[VK0402030]
多聞は道場である、聞くとおりに行うからだ。
多聞是道場,如聞行故;[VK0402031]
伏心(心を服従させること)は道場である、諸法を正しく洞察するからだ。
伏心是道場,正觀諸法故;[VK0402032]
三十七道品は道場である、有為の法を捨てるからだ。
三十七品是道場,捨有為法故;[VK0402033]
四聖諦は道場である、ごまかすことがないからだ。
諦是道場,不誑世間故;[VK0402034]
十二縁起(無明・行・識・名色・六処・触・受・愛・取・有・生・老死)は道場である、無明から老死まで循環して尽きないからだ。
緣起是道場,無明乃至老死皆無盡故;[VK0402035]
さまざまな煩悩は道場である、煩悩から真理を理解するからだ。
諸煩惱是道場,知如實故;[VK0402036]
衆生は道場である、無我のことを知っているからだ。
眾生是道場,知無我故;[VK0402037]
あらゆる法は道場である、諸法の本質が空であると知っているからだ。
一切法是道場,知諸法空故;[VK0402038]
降魔(心中の魔を降伏させること)は道場である、心が動かないからだ。
降魔是道場,不傾動故;[VK0402039]
三界は道場である、何にもとらわれないからだ。
三界是道場,無所趣故;[VK0402040]
師子吼(獅子の咆哮のように説法すること)は道場である、恐れることがないからだ。
師子吼是道場,無所畏故;[VK0402041]
十力・四無所畏・十八不共法は道場である、さまざまな過ちがないからだ。
力、無畏、不共法是道場,無諸過故;[VK0402042]
三明は道場である、何の妨げもないからだ。
三明是道場,無餘礙故;[VK0402043]
一念ですべてを理解することは道場である、一切智(あらゆる現象を完全に理解する智慧)の境地に至るからだ。
一念知一切法是道場,成就一切智故。[VK0402044]
善良な男よ! このように、
如是,善男子![VK0402045]
もし菩薩が種々の波羅蜜に従って衆生を教化すれば、
菩薩若應諸波羅蜜教化眾生,[VK0402046]
皆も道場から来る。すべての行動が仏法に則っているのだ。よく知りなさい!』
諸有所作,舉足下足,當知皆從道場來,住於佛法矣!』[VK0402047]
維摩詰様がこのご教示をお説きになった時、五百人の天人と人々は皆、阿耨多羅三藐三菩提心を発しました。
說是法時,五百天、人皆發阿耨多羅三藐三菩提心。[VK0402048]
それゆえ、私はその御方を見舞うことができかねます。」
故我不任詣彼問疾。」[VK0402049]
【維摩経】菩薩品
光厳童子
そこで、お釈迦様は光厳童子に言いました。
佛告光嚴童子:[VK0402001]
「お前が維摩詰を見舞いに行ってきなさい。」
「汝行詣維摩詰問疾。」[VK0402002]
光厳はお釈迦様に言いました。
光嚴白佛言:[VK0402003]
「申し訳ございません。世尊様。私はその御方を見舞うことができかねます。なぜかというと、
「世尊!我不堪任詣彼問疾。所以者何?[VK0402004]
かつて、私がヴァイシャーリー大都市を出る時、維摩詰様がちょうど大都市に入っておいででした。
憶念我昔出毘耶離大城,時維摩詰方入城,[VK0402005]
私は維摩詰様にお礼をして伺いました。
我即為作禮而問言:[VK0402006]
『居士様はどちらからいらっしゃったのですか?』
『居士從何所來?』[VK0402007]
維摩詰様は私にお答えになりました。
答我言:[VK0402008]
『私は道場(仏道修行の場所)から来たのだ。』
『吾從道場來。』[VK0402009]
私は維摩詰様に伺いました。
我問:[VK0402010]
『えーと、その道場はどちらですか?』
『道場者何所是?』[VK0402011]
維摩詰様は私にお答えになりました。
答曰:[VK0402012]
『直心は道場である、偽りがないからだ。
『直心是道場,無虛假故;[VK0402013]
発行(修行を始めること)は道場である、修行の道に進むからだ。
發行是道場,能辦事故;[VK0402014]
深心は道場である、功徳が成長しているからだ。
深心是道場,增益功德故;[VK0402015]
菩提心は道場である、その心が間違いないからだ。
菩提心是道場,無錯謬故;[VK0402016]
布施は道場である、恩返しを期待しないからだ。
布施是道場,不望報故;[VK0402017]
持戒は道場である、誓願がかなうからだ。
持戒是道場,得願具故;[VK0402018]
忍辱は道場である、衆生に悩まないからだ。
忍辱是道場,於諸眾生心無礙故;[VK0402019]
精進は道場である、怠けたり、退転したりしないからだ。
精進是道場,不懈退故;[VK0402020]
禅定は道場である、心を柔らかにするからだ。
禪定是道場,心調柔故;[VK0402021]
智慧は道場である、諸法の本質を洞察できるからだ。
智慧是道場,現見諸法故;[VK0402022]
慈(慈じしむこと)は道場である、衆生を平等に取り扱うからだ。
慈是道場,等眾生故;[VK0402023]
悲(哀れむこと)は道場である、苦労に耐えるからだ(衆生を済度する)。
悲是道場,忍疲苦故;[VK0402024]
喜(喜ぶこと)は道場である、法喜に浸っているからだ。
喜是道場,悅樂法故;[VK0402025]
捨(捨てること)は道場である、愛憎を断ち切るからだ。
捨是道場,憎愛斷故;[VK0402026]
神通は道場である、六神通を成就するからだ。
神通是道場,成就六通故;[VK0402027]
解脱は道場である、八背捨(八解脱)ができるからだ。
解脫是道場,能背捨故;[VK0402028]
方便は道場である、衆生を教化するからだ。
方便是道場,教化眾生故;[VK0402029]
四摂法は道場である、衆生を感化するからだ。
四攝是道場,攝眾生故;[VK0402030]
多聞は道場である、聞くとおりに行うからだ。
多聞是道場,如聞行故;[VK0402031]
伏心(心を服従させること)は道場である、諸法を正しく洞察するからだ。
伏心是道場,正觀諸法故;[VK0402032]
三十七道品は道場である、有為の法を捨てるからだ。
三十七品是道場,捨有為法故;[VK0402033]
四聖諦は道場である、ごまかすことがないからだ。
諦是道場,不誑世間故;[VK0402034]
十二縁起(無明・行・識・名色・六処・触・受・愛・取・有・生・老死)は道場である、無明から老死まで循環して尽きないからだ。
緣起是道場,無明乃至老死皆無盡故;[VK0402035]
さまざまな煩悩は道場である、煩悩から真理を理解するからだ。
諸煩惱是道場,知如實故;[VK0402036]
衆生は道場である、無我のことを知っているからだ。
眾生是道場,知無我故;[VK0402037]
あらゆる法は道場である、諸法の本質が空であると知っているからだ。
一切法是道場,知諸法空故;[VK0402038]
降魔(心中の魔を降伏させること)は道場である、心が動かないからだ。
降魔是道場,不傾動故;[VK0402039]
三界は道場である、何にもとらわれないからだ。
三界是道場,無所趣故;[VK0402040]
師子吼(獅子の咆哮のように説法すること)は道場である、恐れることがないからだ。
師子吼是道場,無所畏故;[VK0402041]
十力・四無所畏・十八不共法は道場である、さまざまな過ちがないからだ。
力、無畏、不共法是道場,無諸過故;[VK0402042]
三明は道場である、何の妨げもないからだ。
三明是道場,無餘礙故;[VK0402043]
一念ですべてを理解することは道場である、一切智(あらゆる現象を完全に理解する智慧)の境地に至るからだ。
一念知一切法是道場,成就一切智故。[VK0402044]
善良な男よ! このように、
如是,善男子![VK0402045]
もし菩薩が種々の波羅蜜に従って衆生を教化すれば、
菩薩若應諸波羅蜜教化眾生,[VK0402046]
皆も道場から来る。すべての行動が仏法に則っているのだ。よく知りなさい!』
諸有所作,舉足下足,當知皆從道場來,住於佛法矣!』[VK0402047]
維摩詰様がこのご教示をお説きになった時、五百人の天人と人々は皆、阿耨多羅三藐三菩提心を発しました。
說是法時,五百天、人皆發阿耨多羅三藐三菩提心。[VK0402048]
それゆえ、私はその御方を見舞うことができかねます。」
故我不任詣彼問疾。」[VK0402049]