筏の喩え

金剛経こんごうきょう


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 ほういんぶん第一


このように私(アーナンダそんじゃシャブツの十大弟子の一人であり、弟子の中でもん第一としょう れる)は聞きました。

如是我聞:[DS0101]

ある日、おシャ様(シャ仏)は千二百五十人のさつたち、弟子たちと共に舎衛城(シュラーヴァスティー)のオンショウジャにいて、昼食の時間になると、をまとい、はちそう 食器)を手に取って町に向かいました。

一時,佛在舍衛國祇樹給孤獨園,與大比丘眾千二百五十人俱。爾時,世尊食時,著衣持鉢,入舍衛大城乞食。[DS0102]

シャ様は道に沿って食べ物を乞い、その後、オンショウジャに帰りました。食事が終わった後、おシャ様ははちかたけ、両足を洗い、とんいてせいしました。

於其城中,次第乞已,還至本處。飯食訖,收衣鉢,洗足已,敷座而坐。[DS0103]


 ぜんげんけいしんぶん第二


その時、スブーティそんじゃ シャブツの十大弟子の一人であり、弟子の中でくう第一としょう れる)がぐんしゅうの中で立ち上がり、みぎかたしゅつし、みぎひざを地につけ、がっしょうして、うやうやしくおシャ様に聞きました。

時,長老須菩提在大眾中即從座起,偏袒右肩,右膝著地,合掌恭敬而白佛言:[DS0201]

そん(世の中で最も尊い人。おシャ様)様。これは素晴らしいことです!

「希有!世尊![DS0202]

そん様は常にさつ(弟子は未来のさつである)たちにごはいりょくださり、お守りになり、ごちゅうこくをくださいます。

如來善護念諸菩薩,善付囑諸菩薩。[DS0203]

そん様! ぜんりょうな男女はのくさんみゃくさんだいしん(心のほんらいしんせい)を発した後、

世尊!善男子、善女人,發阿耨多羅三藐三菩提心,[DS0204]

どのようにだいしんを保つべきでしょうか? どのようにもうそうを止めるべきでしょうか? どうか教えてください。」

應云何住?云何降伏其心?」[DS0205]


シャ様:

佛言:[DS0206]

「それは良い質問だ! スブーティよ! お前の言うとおり、

「善哉,善哉!須菩提!如汝所說:[DS0207]

『私は常にさつたちにはいりょし、しゅし、ちゅうこくを与える。』

『如來善護念諸菩薩,善付囑諸菩薩。』[DS0208]

よく聞きなさい。きっと皆に説明してやろう。

汝今諦聽,當為汝說。[DS0209]

ぜんりょうな男女がのくさんみゃくさんだいしんを発した後、

善男子、善女人,發阿耨多羅三藐三菩提心,[DS0210]

どのようにだいしんを保つべきか、どのようにもうそうを止めるべきかを。」

應如是住,如是降伏其心。」[DS0211]


スブーティ:
「はい、承知しました! そん様。喜んではいちょうします。」

「唯然。世尊!願樂欲聞。」[DS0212]


 だいじょうしょうしゅうぶん第三


シャ様はスブーティに語りかけました。

佛告須菩提:[DS0301]

さつたちは次のようにもうそうを止めるべきだ。

「諸菩薩摩訶薩應如是降伏其心:[DS0302]

『私は、あらゆる種類のしゅじょう、すなわち、

『所有一切眾生之類,[DS0303]

らんせい(卵から生まれること)のしゅじょう

若卵生、[DS0304]

たいせいたいから生まれること)のしゅじょう

若胎生、[DS0305]

湿しっしょう(水中で生まれること。魚類・かいるいなどの類)のしゅじょう

若濕生、[DS0306]

しょう(形を変えて生まれ出ること。胡蝶・ハエ・蚊などの類)のしゅじょう

若化生,[DS0307]

ゆうしょく(身体があること。しきかい天のてんにん)のしゅじょう

若有色、[DS0308]

しょく(身体がないこと。しきかい天のてんにん)のしゅじょう

若無色,[DS0309]

ゆうそう(思考能力を持つこと。じん・精霊の類)のしゅじょう

若有想、[DS0310]

そう(思考できないこと。霊魂が土・木・金・石になる)のしゅじょう

若無想、[DS0311]

ゆうそうそうそうそう天のてんにん)のしゅじょうを導き、

若非有想非無想,[DS0312]

皆をはんしょうから解放されたしょうじょうきょう)に至らせる。』

我皆令入無餘涅槃而滅度之。』[DS0313]

しかしながら、このようにりょう(計り知れないほど多いこと)・すう・限りのないしゅじょうを導いても、実際には私のおかげでだつきょうに至ったしゅじょうはない(しゅじょうはもともとのじょうたいに戻るだけであり、また、悟りというきょうは自分の力によって至る必要があり、他人の力によって至ることはできない)。なぜかというと、

如是滅度無量無數無邊眾生,實無眾生得滅度者。何以故?須菩提![DS0314]

もしそう(我が存在するというかんねん)・

若菩薩有我相、[DS0315]

にんそう(他人が存在するというかんねんそうそうたい)・

人相、[DS0316]

しゅじょうそうしゅじょうが存在するというかんねん)・

眾生相、[DS0317]

寿じゅしゃそう(時間・空間が存在するというかんねん)を抱いているなら、

壽者相,[DS0318]

その者はさつではないからだ。」

即非菩薩。」[DS0319]


 みょうぎょうじゅうぶん第四


シャ様:
「また、スブーティよ! さつはまさに何にもとらわれないでを行うべきだ。

「復次,須菩提!菩薩於法,應無所住,行於布施,[DS0401]

すなわち、しき 映像)・声・香り・味・触覚・法(かんねん)にとらわれないでを行うのだ。スブーティよ! 

所謂不住色布施,不住聲、香、味、觸、法布施。須菩提![DS0402]

さつはこのように、相(物事のようそう)にとらわれるべきではない。

菩薩應如是布施,不住於相。[DS0403]

なぜかというと、さつが相にとらわれないでを行うと、そのから積んだふくとくは多すぎてりょう(想像して計量すること)できないからだ。

何以故?若菩薩不住相布施,其福德不可思量。[DS0404]

例えば、東方のくうの大きさがりょうできるだろうか?」

須菩提!於意云何?東方虛空可思量不?」[DS0405]


スブーティ:
「それはできません。そん様。」

「不也,世尊!」[DS0406]


シャ様:
「では、スブーティ、南・西・北・(北西・南西・北東・南東)・上下の方角のくうの大きさがりょうできるだろうか?」

「須菩提!南西北方四維上下虛空可思量不?」[DS0407]


スブーティ:
「それはできません。そん様。」

「不也,世尊!」[DS0408]


シャ様:
「スブーティよ! そのように、さつが相にとらわれないでを行うと、そのから積んだふくとくもまたりょうできないのだ。

「須菩提!菩薩無住相布施,福德亦復如是不可思量。[DS0409]

それゆえ、スブーティ! さつはまさにこのようにだいしんを保つべきだ(相にとらわれなければ、もうそうを止めることができ、だいしんを保つことができる)。」

須菩提!菩薩但應如所教住。」[DS0410]


 にょじっけんぶん第五


シャ様:
「スブーティよ! お前はどう思うか?

「須菩提!於意云何?[DS0501]

にょらいの姿を見ることによってにょらいを見る』というのは正しいか?」

可以身相見如來不?」[DS0502]


スブーティ:
「それは不正確です。そん様。

「不也,世尊!不可以身相得見如來。[DS0503]

なぜかというと、にょらい様の本当の身体はほっしんしょくけい身)であり、実在的な身体ではないからです。」

何以故?如來所說身相,即非身相。」[DS0504]


シャ様:

佛告須菩提:[DS0505]

「世間のあらゆる相は皆、じつくうきょであり、

「凡所有相,皆是虛妄。[DS0506]

もしそのほんしつきわめれば、

若見諸相非相,[DS0507]

その人はにょらいを見ることができる(ほっしんを理解できる)。」

則見如來。」[DS0508]


 しょうしんゆうぶん第六


スブーティ:

須菩提白佛言:[DS0601]

そん様! しゅじょうたちの中にこのお教えを聞いて、信じる人がいるでしょうか?」

「世尊!頗有眾生,得聞如是言說章句,生實信不?」[DS0602]


シャ様:

佛告須菩提:[DS0603]

「そんなことを言うな。

「莫作是說。[DS0604]

私のにゅうめつはんに入ること)から五百年後、

如來滅後,後五百歲,[DS0605]

かいりつを守り、ふくとくを積む人がいれば、このきょうてんを信じ、教えがしんじちだと思う人がいるだろう。

有持戒修福者,於此章句能生信心,以此為實,[DS0606]

知りなさい! それらの人々は一仏や二仏や、三・四・五仏のみならず、

當知是人不於一佛二佛三四五佛而種善根,[DS0607]

りょうの千万のにょらいに従い、さまざまなぜんこん(善の種子)を植えたのだ。

已於無量千萬佛所種諸善根,[DS0608]

それらの人々がこのきょうてんを聞けば、たとえ一瞬の間だけでも清らかな信心が生じるだろう。スブーティよ! 

聞是章句,乃至一念生淨信者,須菩提![DS0609]


私のけいがん(過去・未来がにんしきできる眼力)によって見れば、彼らはりょうふくとくを得ることができる。なぜなら、

如來悉知悉見是諸眾生得如是無量福德。何以故?[DS0610]

それらのしゅじょうはすでにそうにんそうしゅじょうそう寿じゅしゃそうを断ち切ってしまったからだ。

是諸眾生無復我相、人相、眾生相、壽者相。[DS0611]

またほっそう(仏法にとらわれ、仏法が実際に存在するというかんねん)やほっそう(空・無のかんねんにとらわれ、仏法を修めず、だつきょうに至れないこと)も断ち切ってしまった。

無法相,亦無非法相。[DS0612]


聞きなさい。もししゅじょうが相がしんじちであるとはんだんすれば、彼らはそうにんそうしゅじょうそう寿じゅしゃそうにとらわれる。

何以故?是諸眾生若心取相,則為著我、人、眾生、壽者。[DS0613]

もししゅじょうほっそうかんねんを抱けば、彼らはそうにんそうしゅじょうそう寿じゅしゃそうにとらわれる。

若取法相,即著我、人、眾生、壽者。[DS0614]

また、もししゅじょうほっそうかんねんを抱けば、彼らはそうにんそうしゅじょうそう寿じゅしゃそうにとらわれる。

何以故?若取非法相,即著我、人、眾生、壽者,[DS0615]

それゆえ、ほっそうゆう かんねんを抱くべきではなく、ほっそう(無)のかんねんも抱くべきではない(法は有でもなく、無でもない)。

是故不應取法,不應取非法。[DS0616]


この理由で、私は常に説いている。

以是義故,如來常說:[DS0617]

しゅっした男性弟子)たちよ! お前たちはよく知りなさい!

『汝等比丘,知我說法,[DS0618]

いかだの喩えのように、仏法さえ捨てなければならないし、ましてや、仏法でないものはなおさらだ』。」

如筏喻者,法尚應捨,何況非法』。」[DS0619]


    〈いかだの喩え〉

ある日、おシャ様はたちに語りかけました。
「例えば、深い川があり、その川を渡るための船や橋がない場合、ある人は木材や草を集めていかだを作り、川を渡るだろう。川を渡った後、その人はいかだが自分を助けてくれたので、いかだを捨てずに肩に担いで歩いていた。しかし、そのいかだを持ち歩く必要が本当にあるだろうか?」

たちは答えました。
「いいえ、いかだはもう必要ありません。それを持ち歩くことはたんになるだけです。」

シャ様は言いました。
「そのとおり。善の法さえ捨てなければならないし、ましてや、悪の法はなおさらだ。」

 とくせつぶん第七


シャ様:
「スブーティよ! お前はどう思うか?

「須菩提!於意云何?[DS0701]

私はじょうしょうとうがく(最上の完全な悟り)を得ただろうか?

如來得阿耨多羅三藐三菩提耶?[DS0702]

私はじょうしょうとうがくの法を説いたことがあるだろうか?」

如來有所說法耶?」[DS0703]


スブーティ:

須菩提言:[DS0704]

「私がそん様のお教えを理解したところによると、

「如我解佛所說義,[DS0705]

じょうしょうとうがくという名の絶対的、唯一のきょうは存在せず(悟りはようきょうがある)、

無有定法名阿耨多羅三藐三菩提,[DS0706]

その絶対的、唯一の仏法も存在しません(異なるしゅじょうに応じて異なる仏法を説く)。なぜかというと、

亦無有定法,如來可說。何以故?[DS0707]

仏法というのは皆、手に入れることができず(実物がなく、理解し、得られるものではない)、言葉でそのきょうを明確に説明できず(心で悟るものである)、

如來所說法,皆不可取、不可說、[DS0708]

法でもなく、法ではないものでもないからです(法は有でもなく、無でもない)。

非法、非非法。[DS0709]

すべての賢人(悟りが浅い人)としょうにん(悟りが深い人)は皆、以上のようなの法(きょうに至る方法)によって異なるきょうに至ります。」

所以者何?一切賢聖皆以無為法而有差別。」[DS0710]


 ほうしゅっしょうぶん第八


シャ様:
「スブーティよ! お前はどう思うか?

「須菩提!於意云何?[DS0801]

例えば、ある人がさんぜんだいせんかい(一つの銀河系)を満たすような数量の七宝(金・銀・シャコガイのうさん)を人々に施したとすると、

若人滿三千大千世界七寶以用布施,[DS0802]

その人がこのから積んだふくとくは多いだろうか?」

是人所得福德,寧為多不?」[DS0803]


スブーティ:

須菩提言:[DS0804]

そん様。それはとても多いです!なぜなら、

「甚多,世尊!何以故?[DS0805]

そん様は有相のについてお尋ねになったので、それゆえに私はとても多いとお答えしました。しかし、そうにはふくとくというものがありません。」

是福德即非福德性,是故如來說福德多。」[DS0806]


シャ様:
「もしある人が、このきょうてんの教義を実行したり、他人に説き聞かせたりするなら、それがたとえきょうてん中のよんぎょうだけでも、

「若復有人,於此經中受持,乃至四句偈等,為他人說,[DS0807]

その人が積んだふくとくは、から積んだふくとくより多いのだ!

其福勝彼。[DS0808]

その原因は何だろうか? スブーティよ!

何以故?須菩提![DS0809]

いっさいの諸仏は皆、このきょうてんのおかげでじょうしょうとうがくきょうに至った。じょうしょうとうがくの法はこのきょうてんから出たのだ。スブーティよ! 

一切諸佛,及諸佛阿耨多羅三藐三菩提法,皆從此經出。須菩提![DS0810]

そもそも仏法というものは存在しない。これこそが仏法というものだ(仏法ははんにゃれいみょう⦆の応用)。」

所謂佛法者,即非佛法。」[DS0811]



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