筏の喩え
【金剛経】
法会因由分第一
このように私(アーナンダ尊者。釈迦牟尼仏の十大弟子の一人であり、弟子の中で多聞第一と称される)は聞きました。
如是我聞:[DS0101]
ある日、お釈迦様(釈迦牟尼仏)は千二百五十人の菩薩たち、弟子たちと共に舎衛城(シュラーヴァスティー)の祇園精舎にいて、昼食の時間になると、袈裟をまとい、鉢(僧の食器)を手に取って町に向かいました。
一時,佛在舍衛國祇樹給孤獨園,與大比丘眾千二百五十人俱。爾時,世尊食時,著衣持鉢,入舍衛大城乞食。[DS0102]
お釈迦様は道に沿って食べ物を乞い、その後、祇園精舎に帰りました。食事が終わった後、お釈迦様は鉢と袈裟を片付け、両足を洗い、座布団を敷いて正座しました。
於其城中,次第乞已,還至本處。飯食訖,收衣鉢,洗足已,敷座而坐。[DS0103]
善現啓請分第二
その時、スブーティ尊者(須菩提。釈迦牟尼仏の十大弟子の一人であり、弟子の中で解空第一と称される)が群衆の中で立ち上がり、右肩を露出し、右膝を地につけ、合掌して、恭しくお釈迦様に聞きました。
時,長老須菩提在大眾中即從座起,偏袒右肩,右膝著地,合掌恭敬而白佛言:[DS0201]
「世尊(世の中で最も尊い人。お釈迦様)様。これは素晴らしいことです!
「希有!世尊![DS0202]
世尊様は常に菩薩(弟子は未来の菩薩である)たちにご配慮くださり、お守りになり、ご忠告をくださいます。
如來善護念諸菩薩,善付囑諸菩薩。[DS0203]
世尊様! 善良な男女は阿耨多羅三藐三菩提心(心の本来の真性)を発した後、
世尊!善男子、善女人,發阿耨多羅三藐三菩提心,[DS0204]
どのように菩提心を保つべきでしょうか? どのように妄想を止めるべきでしょうか? どうか教えてください。」
應云何住?云何降伏其心?」[DS0205]
お釈迦様:
佛言:[DS0206]
「それは良い質問だ! スブーティよ! お前の言うとおり、
「善哉,善哉!須菩提!如汝所說:[DS0207]
『私は常に菩薩たちに配慮し、守護し、忠告を与える。』
『如來善護念諸菩薩,善付囑諸菩薩。』[DS0208]
よく聞きなさい。きっと皆に説明してやろう。
汝今諦聽,當為汝說。[DS0209]
善良な男女が阿耨多羅三藐三菩提心を発した後、
善男子、善女人,發阿耨多羅三藐三菩提心,[DS0210]
どのように菩提心を保つべきか、どのように妄想を止めるべきかを。」
應如是住,如是降伏其心。」[DS0211]
スブーティ:
「はい、承知しました! 世尊様。喜んで拝聴します。」
「唯然。世尊!願樂欲聞。」[DS0212]
大乗正宗分第三
お釈迦様はスブーティに語りかけました。
佛告須菩提:[DS0301]
「菩薩たちは次のように妄想を止めるべきだ。
「諸菩薩摩訶薩應如是降伏其心:[DS0302]
『私は、あらゆる種類の衆生、すなわち、
『所有一切眾生之類,[DS0303]
卵生(卵から生まれること)の衆生・
若卵生、[DS0304]
胎生(母胎から生まれること)の衆生・
若胎生、[DS0305]
湿生(水中で生まれること。魚類・貝類などの類)の衆生・
若濕生、[DS0306]
化生(形を変えて生まれ出ること。胡蝶・ハエ・蚊などの類)の衆生・
若化生,[DS0307]
有色(身体があること。色界天の天人)の衆生・
若有色、[DS0308]
無色(身体がないこと。無色界天の天人)の衆生・
若無色,[DS0309]
有想(思考能力を持つこと。鬼神・精霊の類)の衆生・
若有想、[DS0310]
無想(思考できないこと。霊魂が土・木・金・石になる)の衆生・
若無想、[DS0311]
非有想非無想(非想非非想天の天人)の衆生を導き、
若非有想非無想,[DS0312]
皆を無余涅槃(生死から解放された清浄な無為の境地)に至らせる。』
我皆令入無餘涅槃而滅度之。』[DS0313]
しかしながら、このように無量(計り知れないほど多いこと)・無数・限りのない衆生を導いても、実際には私のおかげで解脱の境地に至った衆生はない(衆生はもともとの状態に戻るだけであり、また、悟りという境地は自分の力によって至る必要があり、他人の力によって至ることはできない)。なぜかというと、
如是滅度無量無數無邊眾生,實無眾生得滅度者。何以故?須菩提![DS0314]
もし我相(我が存在するという観念)・
若菩薩有我相、[DS0315]
人相(他人が存在するという観念、我相の相対)・
人相、[DS0316]
衆生相(衆生が存在するという観念)・
眾生相、[DS0317]
寿者相(時間・空間が存在するという観念)を抱いているなら、
壽者相,[DS0318]
その者は菩薩ではないからだ。」
即非菩薩。」[DS0319]
妙行無住分第四
お釈迦様:
「また、スブーティよ! 菩薩はまさに何にもとらわれないで布施を行うべきだ。
「復次,須菩提!菩薩於法,應無所住,行於布施,[DS0401]
すなわち、色(映像)・声・香り・味・触覚・法(観念)にとらわれないで布施を行うのだ。スブーティよ!
所謂不住色布施,不住聲、香、味、觸、法布施。須菩提![DS0402]
菩薩はこのように、相(物事の様相)にとらわれるべきではない。
菩薩應如是布施,不住於相。[DS0403]
なぜかというと、菩薩が相にとらわれないで布施を行うと、その布施から積んだ福徳は多すぎて思量(想像して計量すること)できないからだ。
何以故?若菩薩不住相布施,其福德不可思量。[DS0404]
例えば、東方の虚空の大きさが思量できるだろうか?」
須菩提!於意云何?東方虛空可思量不?」[DS0405]
スブーティ:
「それはできません。世尊様。」
「不也,世尊!」[DS0406]
お釈迦様:
「では、スブーティ、南・西・北・四維(北西・南西・北東・南東)・上下の方角の虚空の大きさが思量できるだろうか?」
「須菩提!南西北方四維上下虛空可思量不?」[DS0407]
スブーティ:
「それはできません。世尊様。」
「不也,世尊!」[DS0408]
お釈迦様:
「スブーティよ! そのように、菩薩が相にとらわれないで布施を行うと、その布施から積んだ福徳もまた思量できないのだ。
「須菩提!菩薩無住相布施,福德亦復如是不可思量。[DS0409]
それゆえ、スブーティ! 菩薩はまさにこのように菩提心を保つべきだ(相にとらわれなければ、妄想を止めることができ、菩提心を保つことができる)。」
須菩提!菩薩但應如所教住。」[DS0410]
如理実見分第五
お釈迦様:
「スブーティよ! お前はどう思うか?
「須菩提!於意云何?[DS0501]
『如来の姿を見ることによって如来を見る』というのは正しいか?」
可以身相見如來不?」[DS0502]
スブーティ:
「それは不正確です。世尊様。
「不也,世尊!不可以身相得見如來。[DS0503]
なぜかというと、如来様の本当の身体は法身(無色・無形の智慧身)であり、実在的な身体ではないからです。」
何以故?如來所說身相,即非身相。」[DS0504]
お釈迦様:
佛告須菩提:[DS0505]
「世間のあらゆる相は皆、不実で空虚であり、
「凡所有相,皆是虛妄。[DS0506]
もしその本質を見極めれば、
若見諸相非相,[DS0507]
その人は如来を見ることができる(法身を理解できる)。」
則見如來。」[DS0508]
正信稀有分第六
スブーティ:
須菩提白佛言:[DS0601]
「世尊様! 衆生たちの中にこのお教えを聞いて、信じる人がいるでしょうか?」
「世尊!頗有眾生,得聞如是言說章句,生實信不?」[DS0602]
お釈迦様:
佛告須菩提:[DS0603]
「そんなことを言うな。
「莫作是說。[DS0604]
私の入滅(涅槃に入ること)から五百年後、
如來滅後,後五百歲,[DS0605]
戒律を守り、福徳を積む人がいれば、この経典を信じ、教えが真実だと思う人がいるだろう。
有持戒修福者,於此章句能生信心,以此為實,[DS0606]
知りなさい! それらの人々は一仏や二仏や、三・四・五仏のみならず、
當知是人不於一佛二佛三四五佛而種善根,[DS0607]
無量の千万の如来に従い、さまざまな善根(善の種子)を植えたのだ。
已於無量千萬佛所種諸善根,[DS0608]
それらの人々がこの経典を聞けば、たとえ一瞬の間だけでも清らかな信心が生じるだろう。スブーティよ!
聞是章句,乃至一念生淨信者,須菩提![DS0609]
私の慧眼(過去・未来が認識できる眼力)によって見れば、彼らは無量の福徳を得ることができる。なぜなら、
如來悉知悉見是諸眾生得如是無量福德。何以故?[DS0610]
それらの衆生はすでに我相・人相・衆生相・寿者相を断ち切ってしまったからだ。
是諸眾生無復我相、人相、眾生相、壽者相。[DS0611]
また法相(仏法にとらわれ、仏法が実際に存在するという観念)や非法相(空・無の観念にとらわれ、仏法を修めず、解脱の境地に至れないこと)も断ち切ってしまった。
無法相,亦無非法相。[DS0612]
聞きなさい。もし衆生が相が真実であると判断すれば、彼らは我相・人相・衆生相・寿者相にとらわれる。
何以故?是諸眾生若心取相,則為著我、人、眾生、壽者。[DS0613]
もし衆生が法相の観念を抱けば、彼らは我相・人相・衆生相・寿者相にとらわれる。
若取法相,即著我、人、眾生、壽者。[DS0614]
また、もし衆生が非法相の観念を抱けば、彼らは我相・人相・衆生相・寿者相にとらわれる。
何以故?若取非法相,即著我、人、眾生、壽者,[DS0615]
それゆえ、法相(有)の観念を抱くべきではなく、非法相(無)の観念も抱くべきではない(法は有でもなく、無でもない)。
是故不應取法,不應取非法。[DS0616]
この理由で、私は常に説いている。
以是義故,如來常說:[DS0617]
『比丘(出家した男性弟子)たちよ! お前たちはよく知りなさい!
『汝等比丘,知我說法,[DS0618]
筏の喩えのように、仏法さえ捨てなければならないし、ましてや、仏法でないものはなおさらだ』。」
如筏喻者,法尚應捨,何況非法』。」[DS0619]
〈筏の喩え〉
ある日、お釈迦様は比丘たちに語りかけました。
「例えば、深い川があり、その川を渡るための船や橋がない場合、ある人は木材や草を集めて筏を作り、川を渡るだろう。川を渡った後、その人は筏が自分を助けてくれたので、筏を捨てずに肩に担いで歩いていた。しかし、その筏を持ち歩く必要が本当にあるだろうか?」
比丘たちは答えました。
「いいえ、筏はもう必要ありません。それを持ち歩くことは負担になるだけです。」
お釈迦様は言いました。
「そのとおり。善の法さえ捨てなければならないし、ましてや、悪の法はなおさらだ。」
無得無説分第七
お釈迦様:
「スブーティよ! お前はどう思うか?
「須菩提!於意云何?[DS0701]
私は無上正等覚(最上の完全な悟り)を得ただろうか?
如來得阿耨多羅三藐三菩提耶?[DS0702]
私は無上正等覚の法を説いたことがあるだろうか?」
如來有所說法耶?」[DS0703]
スブーティ:
須菩提言:[DS0704]
「私が世尊様のお教えを理解したところによると、
「如我解佛所說義,[DS0705]
無上正等覚という名の絶対的、唯一の境地は存在せず(悟りは多様な境地がある)、
無有定法名阿耨多羅三藐三菩提,[DS0706]
その絶対的、唯一の仏法も存在しません(異なる衆生に応じて異なる仏法を説く)。なぜかというと、
亦無有定法,如來可說。何以故?[DS0707]
仏法というのは皆、手に入れることができず(実物がなく、理解し、得られるものではない)、言葉でその境地を明確に説明できず(心で悟るものである)、
如來所說法,皆不可取、不可說、[DS0708]
法でもなく、法ではないものでもないからです(法は有でもなく、無でもない)。
非法、非非法。[DS0709]
すべての賢人(悟りが浅い人)と聖人(悟りが深い人)は皆、以上のような無為の法(無為の境地に至る方法)によって異なる境地に至ります。」
所以者何?一切賢聖皆以無為法而有差別。」[DS0710]
依法出生分第八
お釈迦様:
「スブーティよ! お前はどう思うか?
「須菩提!於意云何?[DS0801]
例えば、ある人が三千大千世界(一つの銀河系)を満たすような数量の七宝(金・銀・瑠璃・硨磲・瑪瑙・珊瑚・玻璃)を人々に施したとすると、
若人滿三千大千世界七寶以用布施,[DS0802]
その人がこの布施から積んだ福徳は多いだろうか?」
是人所得福德,寧為多不?」[DS0803]
スブーティ:
須菩提言:[DS0804]
「世尊様。それはとても多いです!なぜなら、
「甚多,世尊!何以故?[DS0805]
世尊様は有相の布施についてお尋ねになったので、それゆえに私はとても多いとお答えしました。しかし、無相の智慧には福徳というものがありません。」
是福德即非福德性,是故如來說福德多。」[DS0806]
お釈迦様:
「もしある人が、この経典の教義を実行したり、他人に説き聞かせたりするなら、それがたとえ経典中の四行詩だけでも、
「若復有人,於此經中受持,乃至四句偈等,為他人說,[DS0807]
その人が積んだ福徳は、布施から積んだ福徳より多いのだ!
其福勝彼。[DS0808]
その原因は何だろうか? スブーティよ!
何以故?須菩提![DS0809]
一切の諸仏は皆、この経典のおかげで無上正等覚の境地に至った。無上正等覚の法はこの経典から出たのだ。スブーティよ!
一切諸佛,及諸佛阿耨多羅三藐三菩提法,皆從此經出。須菩提![DS0810]
そもそも仏法というものは存在しない。これこそが仏法というものだ(仏法は般若⦅霊妙な智慧⦆の応用)。」
所謂佛法者,即非佛法。」[DS0811]
【金剛経】
法会因由分第一
このように私(アーナンダ尊者。釈迦牟尼仏の十大弟子の一人であり、弟子の中で多聞第一と称される)は聞きました。
如是我聞:[DS0101]
ある日、お釈迦様(釈迦牟尼仏)は千二百五十人の菩薩たち、弟子たちと共に舎衛城(シュラーヴァスティー)の祇園精舎にいて、昼食の時間になると、袈裟をまとい、鉢(僧の食器)を手に取って町に向かいました。
一時,佛在舍衛國祇樹給孤獨園,與大比丘眾千二百五十人俱。爾時,世尊食時,著衣持鉢,入舍衛大城乞食。[DS0102]
お釈迦様は道に沿って食べ物を乞い、その後、祇園精舎に帰りました。食事が終わった後、お釈迦様は鉢と袈裟を片付け、両足を洗い、座布団を敷いて正座しました。
於其城中,次第乞已,還至本處。飯食訖,收衣鉢,洗足已,敷座而坐。[DS0103]
善現啓請分第二
その時、スブーティ尊者(須菩提。釈迦牟尼仏の十大弟子の一人であり、弟子の中で解空第一と称される)が群衆の中で立ち上がり、右肩を露出し、右膝を地につけ、合掌して、恭しくお釈迦様に聞きました。
時,長老須菩提在大眾中即從座起,偏袒右肩,右膝著地,合掌恭敬而白佛言:[DS0201]
「世尊(世の中で最も尊い人。お釈迦様)様。これは素晴らしいことです!
「希有!世尊![DS0202]
世尊様は常に菩薩(弟子は未来の菩薩である)たちにご配慮くださり、お守りになり、ご忠告をくださいます。
如來善護念諸菩薩,善付囑諸菩薩。[DS0203]
世尊様! 善良な男女は阿耨多羅三藐三菩提心(心の本来の真性)を発した後、
世尊!善男子、善女人,發阿耨多羅三藐三菩提心,[DS0204]
どのように菩提心を保つべきでしょうか? どのように妄想を止めるべきでしょうか? どうか教えてください。」
應云何住?云何降伏其心?」[DS0205]
お釈迦様:
佛言:[DS0206]
「それは良い質問だ! スブーティよ! お前の言うとおり、
「善哉,善哉!須菩提!如汝所說:[DS0207]
『私は常に菩薩たちに配慮し、守護し、忠告を与える。』
『如來善護念諸菩薩,善付囑諸菩薩。』[DS0208]
よく聞きなさい。きっと皆に説明してやろう。
汝今諦聽,當為汝說。[DS0209]
善良な男女が阿耨多羅三藐三菩提心を発した後、
善男子、善女人,發阿耨多羅三藐三菩提心,[DS0210]
どのように菩提心を保つべきか、どのように妄想を止めるべきかを。」
應如是住,如是降伏其心。」[DS0211]
スブーティ:
「はい、承知しました! 世尊様。喜んで拝聴します。」
「唯然。世尊!願樂欲聞。」[DS0212]
大乗正宗分第三
お釈迦様はスブーティに語りかけました。
佛告須菩提:[DS0301]
「菩薩たちは次のように妄想を止めるべきだ。
「諸菩薩摩訶薩應如是降伏其心:[DS0302]
『私は、あらゆる種類の衆生、すなわち、
『所有一切眾生之類,[DS0303]
卵生(卵から生まれること)の衆生・
若卵生、[DS0304]
胎生(母胎から生まれること)の衆生・
若胎生、[DS0305]
湿生(水中で生まれること。魚類・貝類などの類)の衆生・
若濕生、[DS0306]
化生(形を変えて生まれ出ること。胡蝶・ハエ・蚊などの類)の衆生・
若化生,[DS0307]
有色(身体があること。色界天の天人)の衆生・
若有色、[DS0308]
無色(身体がないこと。無色界天の天人)の衆生・
若無色,[DS0309]
有想(思考能力を持つこと。鬼神・精霊の類)の衆生・
若有想、[DS0310]
無想(思考できないこと。霊魂が土・木・金・石になる)の衆生・
若無想、[DS0311]
非有想非無想(非想非非想天の天人)の衆生を導き、
若非有想非無想,[DS0312]
皆を無余涅槃(生死から解放された清浄な無為の境地)に至らせる。』
我皆令入無餘涅槃而滅度之。』[DS0313]
しかしながら、このように無量(計り知れないほど多いこと)・無数・限りのない衆生を導いても、実際には私のおかげで解脱の境地に至った衆生はない(衆生はもともとの状態に戻るだけであり、また、悟りという境地は自分の力によって至る必要があり、他人の力によって至ることはできない)。なぜかというと、
如是滅度無量無數無邊眾生,實無眾生得滅度者。何以故?須菩提![DS0314]
もし我相(我が存在するという観念)・
若菩薩有我相、[DS0315]
人相(他人が存在するという観念、我相の相対)・
人相、[DS0316]
衆生相(衆生が存在するという観念)・
眾生相、[DS0317]
寿者相(時間・空間が存在するという観念)を抱いているなら、
壽者相,[DS0318]
その者は菩薩ではないからだ。」
即非菩薩。」[DS0319]
妙行無住分第四
お釈迦様:
「また、スブーティよ! 菩薩はまさに何にもとらわれないで布施を行うべきだ。
「復次,須菩提!菩薩於法,應無所住,行於布施,[DS0401]
すなわち、色(映像)・声・香り・味・触覚・法(観念)にとらわれないで布施を行うのだ。スブーティよ!
所謂不住色布施,不住聲、香、味、觸、法布施。須菩提![DS0402]
菩薩はこのように、相(物事の様相)にとらわれるべきではない。
菩薩應如是布施,不住於相。[DS0403]
なぜかというと、菩薩が相にとらわれないで布施を行うと、その布施から積んだ福徳は多すぎて思量(想像して計量すること)できないからだ。
何以故?若菩薩不住相布施,其福德不可思量。[DS0404]
例えば、東方の虚空の大きさが思量できるだろうか?」
須菩提!於意云何?東方虛空可思量不?」[DS0405]
スブーティ:
「それはできません。世尊様。」
「不也,世尊!」[DS0406]
お釈迦様:
「では、スブーティ、南・西・北・四維(北西・南西・北東・南東)・上下の方角の虚空の大きさが思量できるだろうか?」
「須菩提!南西北方四維上下虛空可思量不?」[DS0407]
スブーティ:
「それはできません。世尊様。」
「不也,世尊!」[DS0408]
お釈迦様:
「スブーティよ! そのように、菩薩が相にとらわれないで布施を行うと、その布施から積んだ福徳もまた思量できないのだ。
「須菩提!菩薩無住相布施,福德亦復如是不可思量。[DS0409]
それゆえ、スブーティ! 菩薩はまさにこのように菩提心を保つべきだ(相にとらわれなければ、妄想を止めることができ、菩提心を保つことができる)。」
須菩提!菩薩但應如所教住。」[DS0410]
如理実見分第五
お釈迦様:
「スブーティよ! お前はどう思うか?
「須菩提!於意云何?[DS0501]
『如来の姿を見ることによって如来を見る』というのは正しいか?」
可以身相見如來不?」[DS0502]
スブーティ:
「それは不正確です。世尊様。
「不也,世尊!不可以身相得見如來。[DS0503]
なぜかというと、如来様の本当の身体は法身(無色・無形の智慧身)であり、実在的な身体ではないからです。」
何以故?如來所說身相,即非身相。」[DS0504]
お釈迦様:
佛告須菩提:[DS0505]
「世間のあらゆる相は皆、不実で空虚であり、
「凡所有相,皆是虛妄。[DS0506]
もしその本質を見極めれば、
若見諸相非相,[DS0507]
その人は如来を見ることができる(法身を理解できる)。」
則見如來。」[DS0508]
正信稀有分第六
スブーティ:
須菩提白佛言:[DS0601]
「世尊様! 衆生たちの中にこのお教えを聞いて、信じる人がいるでしょうか?」
「世尊!頗有眾生,得聞如是言說章句,生實信不?」[DS0602]
お釈迦様:
佛告須菩提:[DS0603]
「そんなことを言うな。
「莫作是說。[DS0604]
私の入滅(涅槃に入ること)から五百年後、
如來滅後,後五百歲,[DS0605]
戒律を守り、福徳を積む人がいれば、この経典を信じ、教えが真実だと思う人がいるだろう。
有持戒修福者,於此章句能生信心,以此為實,[DS0606]
知りなさい! それらの人々は一仏や二仏や、三・四・五仏のみならず、
當知是人不於一佛二佛三四五佛而種善根,[DS0607]
無量の千万の如来に従い、さまざまな善根(善の種子)を植えたのだ。
已於無量千萬佛所種諸善根,[DS0608]
それらの人々がこの経典を聞けば、たとえ一瞬の間だけでも清らかな信心が生じるだろう。スブーティよ!
聞是章句,乃至一念生淨信者,須菩提![DS0609]
私の慧眼(過去・未来が認識できる眼力)によって見れば、彼らは無量の福徳を得ることができる。なぜなら、
如來悉知悉見是諸眾生得如是無量福德。何以故?[DS0610]
それらの衆生はすでに我相・人相・衆生相・寿者相を断ち切ってしまったからだ。
是諸眾生無復我相、人相、眾生相、壽者相。[DS0611]
また法相(仏法にとらわれ、仏法が実際に存在するという観念)や非法相(空・無の観念にとらわれ、仏法を修めず、解脱の境地に至れないこと)も断ち切ってしまった。
無法相,亦無非法相。[DS0612]
聞きなさい。もし衆生が相が真実であると判断すれば、彼らは我相・人相・衆生相・寿者相にとらわれる。
何以故?是諸眾生若心取相,則為著我、人、眾生、壽者。[DS0613]
もし衆生が法相の観念を抱けば、彼らは我相・人相・衆生相・寿者相にとらわれる。
若取法相,即著我、人、眾生、壽者。[DS0614]
また、もし衆生が非法相の観念を抱けば、彼らは我相・人相・衆生相・寿者相にとらわれる。
何以故?若取非法相,即著我、人、眾生、壽者,[DS0615]
それゆえ、法相(有)の観念を抱くべきではなく、非法相(無)の観念も抱くべきではない(法は有でもなく、無でもない)。
是故不應取法,不應取非法。[DS0616]
この理由で、私は常に説いている。
以是義故,如來常說:[DS0617]
『比丘(出家した男性弟子)たちよ! お前たちはよく知りなさい!
『汝等比丘,知我說法,[DS0618]
筏の喩えのように、仏法さえ捨てなければならないし、ましてや、仏法でないものはなおさらだ』。」
如筏喻者,法尚應捨,何況非法』。」[DS0619]
〈筏の喩え〉
ある日、お釈迦様は比丘たちに語りかけました。
「例えば、深い川があり、その川を渡るための船や橋がない場合、ある人は木材や草を集めて筏を作り、川を渡るだろう。川を渡った後、その人は筏が自分を助けてくれたので、筏を捨てずに肩に担いで歩いていた。しかし、その筏を持ち歩く必要が本当にあるだろうか?」
比丘たちは答えました。
「いいえ、筏はもう必要ありません。それを持ち歩くことは負担になるだけです。」
お釈迦様は言いました。
「そのとおり。善の法さえ捨てなければならないし、ましてや、悪の法はなおさらだ。」
無得無説分第七
お釈迦様:
「スブーティよ! お前はどう思うか?
「須菩提!於意云何?[DS0701]
私は無上正等覚(最上の完全な悟り)を得ただろうか?
如來得阿耨多羅三藐三菩提耶?[DS0702]
私は無上正等覚の法を説いたことがあるだろうか?」
如來有所說法耶?」[DS0703]
スブーティ:
須菩提言:[DS0704]
「私が世尊様のお教えを理解したところによると、
「如我解佛所說義,[DS0705]
無上正等覚という名の絶対的、唯一の境地は存在せず(悟りは多様な境地がある)、
無有定法名阿耨多羅三藐三菩提,[DS0706]
その絶対的、唯一の仏法も存在しません(異なる衆生に応じて異なる仏法を説く)。なぜかというと、
亦無有定法,如來可說。何以故?[DS0707]
仏法というのは皆、手に入れることができず(実物がなく、理解し、得られるものではない)、言葉でその境地を明確に説明できず(心で悟るものである)、
如來所說法,皆不可取、不可說、[DS0708]
法でもなく、法ではないものでもないからです(法は有でもなく、無でもない)。
非法、非非法。[DS0709]
すべての賢人(悟りが浅い人)と聖人(悟りが深い人)は皆、以上のような無為の法(無為の境地に至る方法)によって異なる境地に至ります。」
所以者何?一切賢聖皆以無為法而有差別。」[DS0710]
依法出生分第八
お釈迦様:
「スブーティよ! お前はどう思うか?
「須菩提!於意云何?[DS0801]
例えば、ある人が三千大千世界(一つの銀河系)を満たすような数量の七宝(金・銀・瑠璃・硨磲・瑪瑙・珊瑚・玻璃)を人々に施したとすると、
若人滿三千大千世界七寶以用布施,[DS0802]
その人がこの布施から積んだ福徳は多いだろうか?」
是人所得福德,寧為多不?」[DS0803]
スブーティ:
須菩提言:[DS0804]
「世尊様。それはとても多いです!なぜなら、
「甚多,世尊!何以故?[DS0805]
世尊様は有相の布施についてお尋ねになったので、それゆえに私はとても多いとお答えしました。しかし、無相の智慧には福徳というものがありません。」
是福德即非福德性,是故如來說福德多。」[DS0806]
お釈迦様:
「もしある人が、この経典の教義を実行したり、他人に説き聞かせたりするなら、それがたとえ経典中の四行詩だけでも、
「若復有人,於此經中受持,乃至四句偈等,為他人說,[DS0807]
その人が積んだ福徳は、布施から積んだ福徳より多いのだ!
其福勝彼。[DS0808]
その原因は何だろうか? スブーティよ!
何以故?須菩提![DS0809]
一切の諸仏は皆、この経典のおかげで無上正等覚の境地に至った。無上正等覚の法はこの経典から出たのだ。スブーティよ!
一切諸佛,及諸佛阿耨多羅三藐三菩提法,皆從此經出。須菩提![DS0810]
そもそも仏法というものは存在しない。これこそが仏法というものだ(仏法は般若⦅霊妙な智慧⦆の応用)。」
所謂佛法者,即非佛法。」[DS0811]